key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

『so blue』4

 緒方が本格的に引っ越しの準備を始めたのは、学年末考査が終わってからだった。
 院生研修もなくなり、年明け早々に新初段シリーズも終えてしまったので、彼はその後の時間をゆっくりと過ごしていた。その前から時間のあることはわかっていたので、気の向いたときに少しずつ荷物をまとめようと思ってはいたのだが、なかなか手は動かなかった。少しものを引き出してはなげだし、嫌になって、外へ出かけてしまう。そんなことの繰り返しで三月になった。学年末考査を控えているということを、彼は準備を進められない自分に対する言い訳にしていた。しかし時の流れは回避できない。気付くと三月も半ばにさしかかっており、彼は仕方なく荷物をまとめ始めた。
 緒方自身の荷物は案外少なかった。
 考えてみれば、箪笥や布団などもすべて塔矢家から宛われたものであり、賄い付きなので食器すら彼自身のものではないのである。彼のその後の人生に置いても大切なものであるはずの碁盤や碁笥(もちろん中の碁石も)も、行洋からの借り物だった。彼が荷造りをできるのは衣類と書物、学用品など、身の回りにある些細なものだけで、緒方がいかにだらだらと取り組んでいても、荷造りはすぐに出来てしまうのだった。
 彼はこれまで寝室として使っていた奥の間に、荷物をまとめておくようにした。布団も早々に持ち出したので、荷物をまとめ終えると、彼は奥の部屋には出入りをしないようになった。
 「用がないから、行かないのだ」と彼自身言い聞かせるようにしていたが、実際のところ、その部屋にはいることを避けていたのである。少ないダンボールを見ることが辛いわけではない。見ていて辛いのは、置いていかなければならないあらゆるものなのだった。
 何年も使ううちに愛着の湧いたもの達も、ほとんどが借り物なのだと改めて認識したとき、彼は、何年生活をしていても、結局この家の中で自分は異物なのだと悟った。そしてあたらめて「ここにはもういられない」と感じたのである。

 ある日曜の朝。緒方が電話をかけてみると、河上は暇だという話だった。
「ちょっと付き合って欲しいところがあるから、車で出てきて」
 彼が言うと、河上は訝しそうにしつつも承諾をした。二人は最寄りの駅前で待ち合わせをすることになった。しばらく雨がちだったのだが、その日はすっきりと晴れて、青空が目に眩しく感じられるほどだった。
 河上は待ち合わせの時刻ちょうどにやって来た。彼女の車が目の前に止められると、緒方はすぐに助手席に乗り込んだ。
「付き合って欲しいところって、どこ?」
「ちょっと」
「車はどうすればいいのよ」
 緒方は「買い物に付き合って」といい、彼女をそのままあちこちの店に連れ回した。家具や食器なども見て回ったので、最初は黙って付き合っていた彼女にもそのうち察しがついてきたらしい。「引っ越しでもするの?」と、家具の迷路を歩きながら訊いてきた。
「そう」
「え、本当に?」
 彼女が意外な驚き方をしたので、緒方は思わず足を止めて振り返った。
「……なんでそんなに驚いてんの?」
「だって……」
 河上は決まり悪そうに笑っていた。
 二人は再び歩き始めた。
「緒方くんて、ずっと先生のところにいるのかと思ってた」
「まさか」
 緒方は苦笑した。
「だって、なんだか、本当に先生の子供みたいだったじゃない」
 その言葉を聞いた途端、彼は反射的に振り返っていた。
「……やだ」
 河上は顔を引きつらせながら微笑んでいた。
「どうしてそんな怖い顔してるの?」
「……怖い?」
「ものすごい目してたわよ。今。……なにか悪いこと言った?」
「別に」
 彼は彼女に微笑みかけた。
「気のせいじゃない?」
「……そう?」
「うん」
 彼女の表情がいくらか和らいだ。
 その後もしばらく店内を廻り、緒方はその店でいくつかの家具の配送を頼んだ。
「いつ引っ越すの?」
「月末。認証式のあと」
 配送伝票に書き込みをしている緒方の後ろから河上が覗き込んでいるのがわかる。
「あ、結構近いんだ」
「今度は歩いていける」
「いつでもどうぞ」
 背後から彼女の笑い声が聞こえてきた。
 緒方は伝票を書きながら「部屋見に来る?」と誘ってみた。
 返答はなかった。
「それじゃあ、よろしくお願いします」と、店員に頭を下げて、彼は席を立った。
「鍵、いま持ってるよ」
 緒方は振り向き、彼女を見つめた。彼女は目を見開いて、彼の顔を眺めていた。
 二人はその後いくらかの買い物をし、緒方の新居へ足を向けた。
  
「築何年?」
「二年か三年」
 まだがらんとした部屋の中を、河上はきょろきょろと見回していた。一つしかない部屋の中をぐるりと見回すと、バスルームやキッチンも覗いていた。
「へぇ。いいところじゃない。……自分で探したの?」
「姉さんに頼んだ」
「緒方くん、お姉さんなんていたの?」
「……いたよ」
「全然知らなかった。……どんな人?似てるの?」
「あんまり会わないし、よくわかんない。普通の女子大生だよ」
「もしかして私と同じくらい?」
「河上さんの方が若いよ」
「そうなんだ」
「河上さんの方が可愛いし」
「……なによ。突然」
 彼女は照れたように笑っていた。
「そんなこと言っても、なにも出ないわよ」
「出ないの?」
 バスルームを覗いていた彼女が不意に振り向いた。彼女は彼が思ったよりも近くにいることに驚いていたようだった。
「……やだ。なに?」
「なにって、なに?」
 緒方は彼女の顔から目を反らさずに、聞き返した。
「どうしたの」
 彼は彼女の動揺に気付いていながら、何でもないように話し掛けた。
「びっくりしちゃった。あんまり近くにいるから」
 彼女は顔を引きつらせながら笑っていた。
 脇をすり抜けようとした彼女の身体を、彼は抱き留めた。
「なに?」
 突然のことに、河上は動揺しているようだった。
「河上さん、オレ、まだ合格のお祝いもらってない」
「お祝い?なにそれ」
「忘れたの?約束したのに」
「え?」
 彼は彼女の身体を抱きしめ、小さく溜息をついた。
「……オレ、真面目だったんだけど」
 返事はなかった。
「あのさ」
 緒方は彼女の耳元で低くささやいた。
「……なに?」
「オレ、まだ誰にもここ教えてないんだ」
 そうして抱く腕に少し力を入れる。するとしばらくの後に、小さな溜息が聞こえ、彼女の手が彼の背に回された。甘えた様子で彼女に身を寄せながら、彼は内心愉快になっていた。
「でも今日は駄目」
「どうして」
「……持ってないでしょ?」
「持ってたらいい?」
 まさかそんなはずはないと思っていたのだろう。河上は笑っていた。緒方はポケットの中から取り出して見せた。
「持ってる」
 彼女はまず絶句し、それからいつかのように吹き出した。
「だって男なら持ってろって言ってたじゃない」
「そんなこと言った?」
「言った」
 緒方は彼女に顔を近づけていった。香水と化粧品の混じり合ったにおいがした。
 緩く合わされた唇に、彼は唇を重ねた。
「ここでする気?」
「うん」
「水道まだ出てないでしょ?」
「ちゃんと拭くよ」
 軽く唇を触れ合わせながら、二人は身体を落としていった。
「あとで身体も洗ってあげる」
「どこで」
「河上さんの部屋で」
「じゃあ、私のところに行きましょうよ」
「駄目」
「どうして」
「ここでしたいから」
 「あんまり声出さないでね」と言いながら、彼は服に手をかけた。触れた肌の弾力に、手が止まりそうになる。そんな自分にふと気付いて、彼は動揺をした。
 目を上げて見ると、それまで彼の様子を伺っていたらしい彼女は、了承のつもりなのか、僅かに微笑んでいた。
 彼女の手が伸びてきて、彼の眼鏡を外す。彼はそのまま頭を下げて、彼女と深く唇を合わせた。
 彼女と身体をかさねている間、行洋のことが彼の頭をかすめた。
 それは本当に唐突なことで、しかも瞬間的なものだった。
 しかし、彼はそのことに気付いてしまった。そして、その唐突さに笑ってしまいそうになった。
「なに?」
 河上が尋ねてきた。
「いま、笑ってたでしょ」
「笑ってた?」
「笑ってた」
 嘲笑されたと思っていたのだろう。彼女は不満そうにしていた。
「何でもない。ごめん」
 謝りながら、彼は今度は身体を震わせて笑ってしまった。
「ちょっと、揺らさないで」
 くすくすと笑いながら「気持ちいい?」と尋ねると、河上は呆れた顔で彼の腰のあたりをパシリとたたいた。

**********
 これは(笑)
 ……すんません。
 orz