key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

『遠い星・5』

 九星会の本校の建物は、成澤宅の離れというよりは、その一部のような作りになっている。おそらくそれは成澤自身の教室への移動が苦にならないように、という配慮からのものなのだろうと思われた。
 緒方は成澤の本宅へ案内されたあと、短い渡り廊下を通り、本校へ案内された。
 成澤の顔を見ると、皆がにこやかに、そして丁寧に挨拶をする。成澤の後ろに続く緒方のことを知っているものも、また、そうではないものもいたようだが、みな、成澤に対するのと変わらず、緒方に丁寧な挨拶をしてきた。きちんとした指導がされているのだと言うことがわかった。
 教室の奥の方では、年長者が小学生らしき少年少女に指導をしているのが見える。ふと振り返った顔を見ると、院生時代に一緒だった加藤だった。意外な顔にお互い驚き、二人が親しく言葉を交わしたところで、成澤が、「伊角くんは来ていないか」と、加藤に尋ねた。
「今日はまだ来ていませんね」
「欠席の連絡は」
「今のところはありません」
 成澤は残念そうにしていた。
 緒方はその後も小一時間ほど教室に留まり、塾生達の質問を受けたり、指導をするなどしていたが、結局「伊角」はその日は現れなかった。
「連絡もなく欠席をする子ではないんだけどね」
 成澤宅を辞する際に、成澤はぽつりとそう漏らしていた。
 その様子が気にかかっていた緒方は、加藤と対局日に出くわした際に、「伊角」について尋ねてみた。
「まだ入ってきたばかりの子なんだけど、成澤先生は、すごく気に入ってるみたいなんだよな」
「ずば抜けて上手いのか」
 と、尋ねると、加藤は苦笑しつつ、「あの成澤先生がかなりのご執心だから、センスはあるんじゃないかな」と、言った。
「わからないのか」
「オレは伊角についたことはないんだ。他の奴らの話では、一生懸命やってる、とは言っていたけどね」
 その時の話は、それきりで終わった。
 もともと成澤とはそれほど交流があったわけではない。緒方が九星会に顔を出すことは、それからなかった。ただ「伊角」という名前はなんとなく脳裏にとどまっていたのだろう。「伊角」という名前を再び耳にした時、緒方は即座にその名前を記憶の底から蘇らせた。
 その名が飛びだしてきたのは、九星会とは全く関わりのない方向からだった。
 短い期間ではあったが、彼が院生時代に院生師範として世話になった篠田が、「伊角」という名前を口にしていたのである。昼食休憩の際のことで、緒方も篠田もそれぞれ別の相手と食後の談笑をしていた。そして、緒方の会話の合間に、篠田の「伊角くん」という言葉が聞こえてきたのである。
 緒方はそれを聞いておもむろに振り返った。
 篠田は突然のことに驚いていたようだった。目を丸くしたあとで、「どうかしたのかい?」と目線で緒方に語りかけてきた。
「いま、なんと仰いましたか」
 篠田は、訝しく思っていたようだが、それでもにこやかに「先日の院生研修の話をしていたんだけれど……」と、話し出した。
「真柴くんという子が、なにかにつけて伊角くんという子にちょっかいを出すのが、微笑ましいけど時々困るという話だよ」
 今度は篠田の口からはっきりと「伊角」という名を聞くことが出来た。緒方は、話の内容には関心を持たず、先を話そうとする篠田の会話を遮るようにして、
「伊角って、もしかして、九星会の伊角ですか」
 と、尋ねた。
「そう。緒方くん、よく知っているね」
「いえ、面識はないです。ただ、以前成澤先生にお会いしたときにその名を聞いた覚えがあったので」
「そう。成澤先生からか」 
 篠田は顔を綻ばせていた。
「成澤先生の秘蔵っ子だからね。彼は」
 篠田の言葉に、緒方はいつかの加藤の言葉を思い出し、「秘蔵っ子とは、随分出世したんだな」と、内心呟いた。
「今は院生なんですね」
 篠田は頷いた。
「一組上位の常連ですよ」
 まるで子どもの自慢をするように、篠田は話していた。
「伊角くんはよく勉強するし、とてもいい子でね、私も彼には早く院生を卒業してほしいと思っているんだが……。やはりなかなか上手くはいかないね」
 感慨深げな篠田の様子を見ているうちに、昼食休憩は終わった。

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今回 しのすみ?

突然思ったけど「ちょっかい」って方言かな?