key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

『遠い星・27』

 その年の十段戦最終局は市ヶ谷の日本棋院会館で行われることになっていた。
 当日の朝、緒方が対局会場である幽玄の間に顔を出すと、中では棋院の関係者とその日の立会人である篠田がなにやら討議をしていたようだった。
「おはようございます」
 緒方が声をかけると、二人は驚いたように顔を上げた。
「それじゃそういうことで話をしてみましょう」
「お願いしてもいいですか」
「もし駄目なようならその後の手配はそちらにお願いします」
「わかりました」
 慌ただしく話はまとめられ、棋院の職員はそこで退室をした。
「何かあったんですか」
 緒方は腰を下ろし、篠田に話し掛けた。篠田は改めて彼に挨拶をしてきた。
「いや、今日記録をするはずだった棋士が突然休むことになったらしくてね。誰か代わりをたてなければという話なんだ。それでとりあえず、私のわかる範囲ですぐに来られそうなのに連絡をつけてみようということでね」
 篠田のつてということは元院生だろう。記録が変わろうがどうしようが、自分には全く関係がない。本当に大した話ではないな、と、思った緒方は、彼と二言三言言葉を交わして控え室へ向かった。
 そうしていざ対局の時間となり、彼が改めて幽玄の間に入ると、記録席には伊角が座っていたのである。
 上座に座る緒方に対し、伊角は「よろしくお願いします」と、丁寧に礼をしてきた。以前見かけた時に比べると、いくらか大人びたようだな、と、思いつつ、彼も頭を下げた。
 伊角もプロ入りをしたからには、いつか何処かで顔を合わせることもあるだろうと思ってはいたが、こんなに早くその機会が訪れるとは思ってもみなかった。新初段の認証式の際にも遠目にその姿を見かけてはいたのだが、あいにく話をするような機会を得ることは出来なかったのだった。
 知己になる絶好の機会だと思われた。
 それで運がついたような気になったからか、その日は冴えていた。まるで何かに道筋を示されるように、先が綺麗に読める。緒方は順調に対局を進め、制限時間をいくらか残して勝利をした。
 これが彼にとっては初の防衛になるとあって、彼に近しい棋士たちも多く集まってきていた。一通りの検討や取材が終わった後は、とある場所で一席設けることにもなっていた。名目は反省会で、実際に対局を振り返る時間もあるが、その後は宴会である。緒方がタイトルを失うようなことになれば、そのまま残念会に切り替わることにもなっていた。
 伊角が居残って片づけを手伝っていることに気付いていた彼は、周囲の人に開放された隙に、いかにも思いついたように伊角に声をかけた。
「これから反省会をするんだが、君も来ないか」
 緒方が誘うと、伊角は目を大きく見開き、困惑した表情で隣にいた篠田を見た。
「篠田先生も是非いらして下さい」
 伊角は篠田の様子を伺っている。興味はあるが、まだ棋界の知り合いもろくにいないので、一人では顔を出しにくいと思っているようだった。緒方はそのあたりの事情をおもんぱかり、先手を打つつもりで篠田を誘ってみたのだった。
 篠田にも伊角の心情は察せられたようだった。
「じゃあ、私もお邪魔するから、君もおいで」
 篠田が言うと、伊角は安堵したようだった。

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やっとここまで来た……。