今回とりあえず、子供向きでは全くなかった。ゲドの原作自体が高学年向けなんだけど。ハリポタやポケモン、ハウルも見通した秀英が今回は映画の間全く集中できず、3回もトイレで中座した。私もそれに付き合わなければならなかったので、途中見ていない場面があるのだけど、いろいろまた考えてみた。
何か良いところはないかと思っていろいろ考えても見たが、私が映画の最中ぐっと来たのは、アレンがウサギに捕まって、奴隷の護送車で目覚めるところだった。あの表情には思わずも(以下自粛)←女子として心底腐っている証拠……。
以下隠します。
口数は多いのに、肝心なことは話してくれない映画、という感じだった。テーマ連呼型、というのか。「命の大切さ」というのはやたらに出てきた気がするが。そう言う点では、『キャシャーン』の脚本を思い出す。
物語の最初でアレンが父親殺しをするけど、映画の中でそのことの必然性があまり見いだせなかった。アレンと彼をとりまく家族の姿がぼんやりとしたまま父は息子に殺され、そのまま息子は逃げてしまって、話はどんどん先へ進むという……なんだか王子が逃走するための理由付けのためだけに「父親殺し」が使われたような印象。そうじゃなければ、剣を自分のものにしたくて?その割には剣に関しては「魔法で鍛えられている」ぐらいしか説明がない。ただ「彼の中の魔がそうさせた」ではいかんのじゃないか。昔ながらの「父親殺し」のモチーフなぞれ、とは言わないが。アレンが「死ぬのが怖い」「死にたくない」というのも、クモに仕込まれたような印象。にわかな感じがする。
それと、魔法使いがものや人を操る際に「真の名」というのを使い、それをみだりに人には教えない、というのは、原作にもあることだけど、そのことに関する説明などもなかったような。物語の中では自明のことであっても、ファンタジー世界の内部ルールを知らない人には何が何だかわからないのでは?それに対して思い出したのが『千と千尋』で千尋が名前を奪われるところだったのだが、なにか今回適切なアナウンスの仕方は無かったのか。
言葉ですべて語ってしまうなら、絵なんかいらないのだ。絵が付いて、動いているのだから、絵で語って欲しいし、舞台設定などは原作にない部分を付け足しても、きちんと構築するべくエピソードは付け足すべきだ。父親の作った話を原案にするとかより前に、そう言うことをしなきゃいけないだろう。ストーリーをただ垂れ流せば、見る人は付いてきて、話の中に入り込んでくれるというのは甘い予測で、一方的に話を進められると多くの人は置いてけぼりを食らうのに。
テナーとゲドの関係についてももう少し何か必要だったんじゃないか。テルーのことについても。小さいことを言えば、布売ってるおばちゃんについても。キャラはいろいろ用意されているのに、有効活用されていない印象が残った。絡み合わない、投げ出されっぱなしの台詞とか。
絵で、場面で、物語で語って欲しい。多くの陳腐な言葉は必要ない。