key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

キルシュヴァッサー

※二次ではありません。リハビリです。あしからず。

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 ふんわりと白い生クリームを載せたガトーショコラを差し出すと、水彦の唇がわずかに動いた。生唾を飲み込む音が聞こえるようだった。
「食べていいの?」
 水彦は、ケーキに目を落としたまま、律に尋ねた。
「いいよ」
 律はフォークを彼の目の前に置き、紅茶を入れるために振り返った。茶を注ぐ音の向こうに、「うま」というつぶやきが聞こえた。
 頼子の誕生日のために焼いたケーキが余っている、と昼休みに話をしたら、驚くような勢いで「食べたい」というので、一緒に下校してきたのだった。水彦はそれまで頼子のいない時に来たことはなかったので、律は自宅で初めて友人と二人きりになった。
「これ、なに入ってるの?なんかいい匂いする。甘酸っぱい匂い」
「キルシュヴァッサーっていうお酒少し入ってる。サクランボのお酒」
 律はティーカップを彼の前に置いた。
「どこに?」
「生クリームのなか」
「サクランボのお酒なんてあるんだ」
「頼子さんのリクエスト。……サクランボ好き?」
「ん−。まあ、ふつう」
「ダークチェリー残ってるけど、載せる?」
「うん」
 差し出された食べかけのケーキの上に、律は冷蔵庫から取り出した、シロップ漬けのダークチェリーを載せた。濃ピンクのシロップが、生クリームを染めながら流れ落ちた。
「オレンジのお酒とかも入れることあるよ」
「そうなの?オレそっちの方が好きかも。あ、でもすごい美味しいよ。これ」
 ケーキを楽しんでいる彼の様子を眺めながら、律は彼の向かいの席に腰を下ろした。
「あのさ。オレンジの皮の甘いのに、チョコレートかけたやつ。知ってる?」
「うん」
「兄ちゃんが外国行ったお土産に持ってきてくれたことあってさ。オレンジとチョコレートって合うんだなって、そのときはじめて思った。でもなかなか見かけないよね。あれ」
 水彦は唇に残っていたクリームを舌先でなめ、紅茶を飲んで、ふと息をついた。
「じゃあ、今度、オレンジ味にしようか?」
「え、いいの?」
 水彦は純粋に驚いた顔をしていて、律は思わず吹き出しそうになった。
「いいよ」
 みるみる頬が紅潮する。見開かれた大きな目は、目尻の方が少したれているので、そこから目がこぼれ落ちそうに思われた。
「……あのさ、オレ、来月誕生日なんだけど」
 一応は申し訳なく思っているのか、彼は遠慮がちに目を少し伏せた。
「うん」
「そん時、……作ってもらっていい?」
「いいよ。……来月のいつ?」
「十日」
 カレンダーで確認すると、十日は平日のようだった。
「学校に持ってけばいい?」
「え、いや、それはいいよ。……オレまた来ちゃ駄目かな?ここで食べたい」
「うちに?」
「うん」
「別に構わないけど」
 と、答えながら、律は不思議だった。今日こうしてやってきて、ケーキを食べているというのに、どうして同じことを断ったりするだろうか。一度来てしまったら、何度来ても同じだろうと思うのに。
「ワンホールでいい?」
「ワンホール?」
「丸いの一個。……このくらいとか」
 律は両手でだいたいの大きさを示した。
「だって、水彦の誕生日ってことは、お姉さんも誕生日なんだよね。なんなら小さいの二つ作ってもいいけど」
「え、いいよ。一個でいい」
「じゃあ、普通の大きさの一個持って帰って、うちでもちょっと食べていけば?今日みたいに」
「ほんと?いいの?」
 水彦は本当に嬉しそうに笑っていた。
「律って、すごいね」
 帰り際、水彦が玄関先で言った。
「なにが?」
「ケーキ焼ける友達なんて、初めてだよ」
 けろっとしてそういう水彦の顔をまじまじと眺めながら、律は今度は自分の頬を熱くした。
「すごく美味しかった。誘ってくれて、ありがとう」
 水彦が笑う顔を見て、律は「そういえば笑うって字は、もともと花が咲くって意味だったんだっけ」と、いつかどこかで読んだ話を唐突に思い出したりした。
 料理を覚え始めの頃から、頼子も茂樹ももちろん喜んで食べてくれていたし、彼のことを褒めてもくれたけれど、そのときの水彦の笑顔は、律の心に、それまでに知らない感情を呼び起こさせた。
 こんな風に彼が笑ってくれるなら、ケーキぐらいいつでも、いくつでも焼いてやりたいと、律は思った。