key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

痛い言葉

最近ブクマなどを中心に罵倒表現などのもめ事にまつわるブログを読み歩いている。
戦略的な罵倒表現などということも言われているんだが……。リアルで聞こえる怒声や罵倒表現はたとえ自分が無関係でたまたまその場に居合わせただけでも、聞いているのがつらい。「痛い」と感じる。だからあまり好きじゃない。そう言う表現をしたくなる気持ちを認めないわけではないが。
私も短気で、(意図的にせよ何にせよ)相手の振る舞いに対して感情の高ぶりを抑えられないときがあるが、自分の興奮ぶりが痛くて、怒りながらつらくなるときがある。そしてそのように激昂した後の動悸、頭痛、そのあとの落ち込みは酷い。そんな風だから、一応怒らないように気をつけてはいる。例えば電話口などでは相手にいらいらさせられても、自分は感情を抑えて話をしているつもり。でも、実際はすごい形相でいるらしく、周囲の人はそのあまりのすごさに引いたり(あたりまえ)、親切な人は電話を切った後でなだめてくれたりする。すごい形相をしていることも、親切な人があとで(飲み会かなにかの時)こっそり教えてくれた。自分が怒りを露わにしているとき、周囲がどんな気持ちで居るかと思うと、それも大変つらい。
そんなこともあり、どんなに頭のいい人が、とても合理的な話をしていても、その中に「戦略として」でも罵倒表現が入っていたら、その言葉を見ただけで、それ以上論を追うのがつらくなってしまう。
「賢いのなら知能が低い人にもわかるようにかみ砕いて説明するべき」というのは、今回見て歩いたあるブログにあったことなんだけれど、これは私もそう思う。相手が話を理解しないことを「頭が悪い」と切り捨てるのは簡単だけど、知恵者であれば、もっと平易な言葉で同じことを言い換えたりすることが出来るはずだし、他人の胸を痛ませるような言葉遣いをわざわざしなくても、人の心に残る表現をすることが出来るんじゃないだろうか。そう思うし、自分のそうできるようになりたいわけだ。