key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

『遠い星・11』

 緒方にとって、楊海はけして物足りない相手ではなかった。
 同年代に王星がいるため、楊海の名はあまり表面には出てこず、国際棋戦の狭い出場枠を勝ち取るまでに至らないことも多くあったが、国内リーグのチームメンバーとして登録もされていたし、それなりの成績も上げていた。飄々とした風貌に似合わず、楊海の打ち筋は無駄が無く、鋭利な印象さえあった。
 その頃、オフラインでもオンラインでも興味をそそられるような相手に出会えず、不満を感じていた緒方は、楊海との対局を楽しみにしていた。
 けして気の合う相手ではなかった。しかし、だからこそ興味もそそられた。
 自分にとっては不快なだけのことを、あの男はどう解釈するのだろうと思うと、緒方は楊海にコメントを求めずにいられなかった。
 楊海が緒方のことをどう感じていたのかはわからない。
 楊海はそんなことは一言も語らなかったし、緒方も他人の思惑をあまり気にする方ではなかった。直接接触する機会の少ない二人は、幸運なことに、そのようなことを語り合う機会を持たなかった。
かくして二人は頻繁にメッセージを交わし合い、対局をし、また、語り合う関係になった。


 しばらくぶりの連絡だった。
 楊海から「お忙しそうですね」と言われ、緒方はただ苦笑した。
「そっちもいろいろ言いたいことはあるんだろうが、今日はちょっと頼みたいことがある。また今度にしてくれ」
「へえ。オレに頼みですか」
 「名誉だなぁ」と、茶化すように、楊海は笑っていた。緒方はそれには取り合わず、本題に入った。
「5月の初旬あたりに、こっちから親善訪問があるだろう」
「そうなんですか」
「知らないのか」
「オレ、リーグ戦でちょっと出てたんで」
 緒方の呆れた様子に、楊海は言い訳のようにそう言っていた。
「九星会という団体の者が数名、そちらに行くことになっているはずだ」
「それで?」
「ひとり、様子を伺ってほしいのがいるんだが」
「どんな美人ですか」
「男だよ」
 楊海は黙っている。彼がどう思っているのかと思うと、緒方は言い訳せずにはいられなかった。
「別にやましい気持ちがある訳じゃない。誤解するなよ」
 緒方は続けて、
「棋力を見てほしいんだ」
 と、言った。
「わざわざオレに?」
 意外そうに笑う楊海に、緒方は当然だろうな、と、思いつつ、話を続けた。
「評判は聞いているんだが、なかなか実際に見る機会がないんだ。今度そっちに行くという話を聞いたんで、お前に頼みたいと思って、電話をかけている」
「そんなに面白そうな相手なんですか」
「いや、わからない。その辺の見極めをしてほしい」
「面白かったら?」
「少し動向を見てみようと思う」
「五月の初旬って、具体的にいつ頃かわかりますか」
 緒方は桜野から聞いているとおりの日程を楊海に話した。
「棋戦重なるかもしれないんすけど」
「それなら仕方がない。もし、見られるようなら頼む」
「まあ、……いいですけどね。緒方先生がそんなに興味もってるんなら、オレも見てみたいし……」
 楊海はそこで一度間をおいた。
「ところで先生、S社からこの間出たばかりのMDウォークマン、どうですか?」
「録再型の方か?」
「そう」
 緒方は一言もそんなことには言及していないのに、楊海は当然チェック済みとして話し掛けてくる。そして彼の思惑通り、既にチェックは済んでいた。付き合いをしているうちに、おかしなところで通じるようになってしまったな、と、思い、緒方は苦笑した。
「バッテリーが小さくなったから、従来のものよりはだいぶん軽くなったな」
「駆動時間は」
「多少長くなったかもしれない。それよりLP4が使えるようになった方が、評価されるところだろうな」
「いいですか。やっぱり」
「そうだな。荷物が少なくて済む」
「ふうん。そうか……」
 受話器の向こうで「いいなぁ」と呟く声が聞こえてきた。
 楊海がどうしてこんな話を振ってきたのかはわかっている。緒方は先回りをし、「明日にでも送ってやるよ」と、言った。
「いや、そんな、悪いなぁ。ありがとうございます」
「色はなんでもいいだろう?」
「そりゃね。シルバーが良いとかなんとか、そこまで贅沢は言いませんよ」
 緒方はつい声を出して笑ってしまった。
「そういうことで、よろしく頼む」
「わかりました。なんとかしてみます」
 と、言った後で、楊海は思い出したように「そう言えば」と言った。
「名前、なんて言うんですか」
「名前?」
「その、様子を伺ってほしい相手の名前ですよ」
 緒方もその時初めて、自分が伊角のことを何も説明していないことに気付いた。
「伊角だ」
「イスミ?」
「伊角、慎一郎。年は18……19か。そのくらいだ。おそらく親善のメンバーの中では一番若い男だと思う」
「わかりました」
 楊海は最後に「十段戦、楽しみに見てますから、頑張って下さいね」と言い、電話を切った。