key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

受益者負担

なんで突然こんなことを書いているのか。別に「それはね」と今更高説をたれようというのではなく、もちろん神経を逆なでするつもりもなく、「いや、ほんとにそうなんですよねぇ。ほんとにいやんなっちゃう」とつい思ってしまったからでありました。
たぶん「そんなことわかっとるわ!」と言われてしまうようなことしか書いていません。
ていうか、全然まとまりないな。

**********

教育による受益者が社会だというのはその通りなのだけども、「教育はその教育を受けた本人にのみ益がある」と考えるのがこの国と、この国に暮らす多くの人の考え方なので、料金設定もそれに従ってなされている。「勉強」というのは、この国に於いては、余裕がないと出来ないことで、贅沢なことなんだよな。未だに。
たくさんのお金を用意でき、払うことが可能な人のみが、必要十分な教育を受けることが出来(時には本人の望む以上のものも与えられたりし)、そうじゃない人は可能な範囲で我慢するしかないという図式になっている。また、その教育を受けるかどうかも、個人の選択と言うことになってしまうんだよなぁ。「この集団に参加したければ金を用意しろ」「用意できないのはお前の自己責任」と、なんか常にそういう感じなんだよねぇ……。
でもだからって、高等教育うけるのに、4年間で中古住宅一軒買えてしまいそうなほどのお金が必要というのはどうかと思うよ。いちいち金かかりすぎだろ。
ということで、修学旅行も強制参加ではなく、任意の参加。単なる旅行、物見遊山ととらえる人もおり、「あんなもの時代に合わない、やめちまえ」という人も割にいたりするんだよね。だけどどう考えたって、家族や少数の友達との私的な旅行と修学旅行が同じ価値なわけないだろうよ。
たしかにいろんな理由で旅行に参加しない子はいるけど、みんな旅行期間は学校出てこなきゃいけないし、結構切ない顔して登校してるよ。「やめろ」というひとは、その顔見たことあるのかな。


私は学校というのは、いろいろな社会の中でも非常に特殊な構成集団であって、ああいう同年代の人達の集まりで、旅行に行ったり、学校祭とかスポーツ大会とかで馬鹿みたいに何かやったりすることと言うのは、それはそれで意義があるし、楽しいのならそれに越したことはないじゃないと思っているので、ああいう学校行事はずっと残すべきだと考えているけども。