key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

今日の疑問。

なんで『一口坂』と書いて「いもあらいざか」なの?
後で調べる。

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調べてみた。

  • 現在は「ひとくちざか」という地名になっているらしい。
  • 京都の地名「一口」(そもそも、これを”いもあらい”と読む)からきているらしい。
  • 「いもあらい」の「いも」とは「へも」のこと。疱瘡(天然痘)のことである。「へもあらい」→「疱瘡を洗う(=治す)」的な意味のよう。
  • 京都の「一口」にある稲荷神社に由来するらしい。
  • とりあえず、市ヶ谷近辺にはもう稲荷とか「いもあらい」のための池沼の痕跡などはないらしい。

あと、↓が参考になったので、引用しておく。

世の中には難読地名があり、その中でも突出しているのが京都の“一口”で、これはイチクチではなく「イモアライ」と読みます。
“一口”をなぜ「イモアライ」と読むのか?その由来は諸説紛々で通説なく、以下のような諸説が確認されています。
・昔土地を耕すとき四角に区画して神事“地貰い”を行ったが、この地貰いが“いもあらい”に転じ、また四角の字が口に相当することから“一口=いもあらい”となった。
・自然災害時の斎(さい)を祓うところからきた。
・昔、弘法大師空海がこの地を通りかかった時、一人の農夫が何かを洗っていたので問うと、農夫は「芋である。」と言って「ひとくち」に食べてしまったことからきた。
・豊巨秀吉が伏見城で宴を催し、和歌を書いた短冊を宇治川に流したところ、大きな鯉が現れて一口に飲み込んだことからきた。・・
 しかしながらこの「イモアライ」という名称も昔は各地にあったといわれ東京でも3カ所が確認されています。つまり九段、靖国神社裏の“一口坂”も昔は「イモアライザカ」と呼ばれ、六本木の交差点近くの“芋洗坂”、御茶ノ水駅のすぐ脇にある“淡路坂”も昔は「イモアライザカ」と呼ばれていました。
 「イモ」は“芋”でなく“疱瘡”のことで、「イモアライ」は“疱瘡を治す神様”(例;芋洗地蔵)を意味し、つまり京都の“一口”も洪水の中で疫病、“疱瘡”が発生することを恐れてつけた“疱瘡除け”の地名と推測されるのが正しいと考えられています。こんなところにも疱瘡の歴史が垣間見られるわけです。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/kamide8.htm

本文でも触れたが、難読地名の筆頭といってよい「一口=いもあらい」のそもそも名の由来はなんだろう。地元でも諸説紛々としており、多くの書物は意味不明としている。         
一口(いちくち)の文字は、往古の巨椋池が、三方を閉ざされ一ケ所だけ淀川に向けて開口していたからだ、という意見が常識的と見られているが、ではイモアライというのはなぜか。   
巨椋池が浅く、島や洲がイモの子を洗うように密集していたからだ、という語呂合わせ的見解もある。           
また江戸城構築(1457年)で知られる太田道灌の娘が「いも」(疱瘡=天然痘)に罹って苦しんでいた時、一口(いちくち)村のお稲荷さんに参ると良いと聞き、わざわざ江戸からはるばる城南のこの地を訪ね、疱瘡退散祈願をしたところ、たちまち完治し、「いも祓い」が転じて「いもあらい」の地名(呼び名)になったという説もある。   
その真偽は詳らかでないが、この故事に因んでかどうか東京都内にイモアライという地名が三ケ所現存するのは面白い。

http://members.at.infoseek.co.jp/sohoweb/index9.html

おそらく、というか確実に「疱瘡平癒祈願」のために「いもあらい」という地名があちこちで使われたのだろうが、靖国通りの辺りにある「一口坂」については、外堀工事の人間の間で疱瘡が流行したため、と言う説があるようだ。