key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

自分勝手な男

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

ある人から、この本の中に入っている『山科の記憶』についての感想というか考えを聞きたいと言われて、読んでみた。
志賀直哉が山科に住んでいた頃、二十歳くらいの女と浮気をした顛末が『瑣事』『山科の記憶』『痴情』『晩秋』という四つの短編*1に綴られている。『山科の記憶』は、その若い女と会ったあと、女のことを考えながら気持ちよく自宅に戻ってみると、妻に浮気がばれていて、最終的には、一時的に女と手を切ることになる、という話。作者自身を投影した男の視点から語られる。
男は妻を愛しているといい、自分の浮気について「お前には関係のないこと」という。女も好きだし、妻も好き。それが自分の自然な気持ち。女を好きになったおかげで、彼は停滞した生活から抜け出し、再び小説を書く気力を取り戻す。若い、みずみずしい女から、その若々しさ、みずみずしさ、しなやかさを受け取る。女を好きになったことに対して、罪悪感はまるでないように見える男が、家に入るときには、少し憂鬱になる。それは「妻に申し訳ない」と言うよりも「自分がウソをつかなければならないこと」に対する不快感のように見える。
夫の浮気を知ってうちひしがれる妻の描写がいい。
座敷の隅で、彼女は小さく丸くなっている。本当に発熱してしまうくらい興奮し、ピシャピシャと手で夫を打ちながら抗議をする。身に覚えのないかかりつけの医者との関係を夫に邪推され、医師を変更させられても、強くあらがわなかった彼女が、この時ばかりは、自分の信頼を裏切った夫を責め、女と別れるように迫り、折れない。最後の一文は「一時的にでも別れなければならない」となっているが、男が女と「別れねば」と思うのは、別に浮気に関して罪悪感があるとか、妻に対して申し訳ないとか、そんなことではなく、「妻が頑として譲らないから」。それだけのことのように見える。
ここにある「一時的」という言葉がくせ者で、おそらくだれでも即座に想像がつくだろうが、男はこの女と本気で縁を切る気などないのである。「妻が金を渡して手を切れというから」「とりあえず今は別れておこう」と言うくらいの認識。案の定で、後の話になると結局女とまた会っていたりする。別れを切り出されて女は渋るが、それも別に彼が好きだからと言うわけではない。旦那がついたお祝いを周囲からもらったばかりなのに、すぐに別れると言われたのが具合が悪いということのようで、彼女の方は彼に対してそれほどの愛情を持っているわけではない。彼の方でも、彼女に対してそう深い愛情があるというわけではなく、あくまで片手間で、自分を生き生きとさせれくれる彼女の性質だけがいとおしいように見える。そんな二人であるから、程なく本当に切れてしまったようではあるが。しかしそれは別に、「この時妻に責められたから」というわけでもない。
これはそういう非常に無神経で自己中心的な男(しかも自覚ありあり)の目から語られる話で、人によってはあまりの自己中ぶりに言葉を無くし、本を持つ手も震えそうな(場合によっては投げ出したりたたきつけたくなるような)物語である。


私に感想を聞きたいと言った人は、どうやら言葉の裏読みをしたかったらしいが、志賀直哉なので、ただ単に思ったことを思ったまま文章に綴っているだけなのだった。


志賀直哉と一緒には働きたくないな−、と、これ読みながら唐突に考えてしまいました。この悪びれなさ。「勝手な人ね」と妻に言われて、「初めからわかっているだろう」って。自覚があるのが一番始末に負えないよ。

*1:『山科もの』と、言うらしい。