key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

『象徴』という生き方。

 前回のエントリの続きのような話。
 「「象徴」として生きる」って、いったいどういうことだろうな、と、ある時ふと思ったのだった。
 たしか、サーヤが慰問の前には山積みの関係書籍類を読んで出かけるという話を聞いたときだったか。
 「象徴」ということは、言葉として存在はするけれど、形として表しにくい概念などをあえて形で表しているわけだけど、「日本の象徴」と言うことは、日本人はもちろん、他の国の人たちが「日本」について思う様々なことを一手に引き受けつつ生きるということだ。ナマズとか魚とか植物とかいろいろな研究をしていることで彼らは知られているけれど、自分がやりたいと思っても、出来ない(やってはいけない)領域をたくさん持っている。
 他の人たちの持つ「こんなコメントをして欲しい」とか「こんな風に振る舞って欲しい」とか「こんな風に生きて欲しい」という期待のようなものを感じながら一生を過ごすというのは、なんだかとても難儀でつらいことだなぁと、感じたのだった。
 「象徴」という言葉を説明するときには「鳩は平和の象徴」というのがよく引かれるが、鳩は自己主張しない(というか、人間に通じる言葉で反論をしたりはしない)けど、皇族はやはり意志のある人間だから、面白いことも面白くないこともあり、この際一発言ってやりたいことなども時にはあるだろうと思ったのだよね。しかし、それを表明することが許されない生き方を生まれたときから強いられている*1というのは、もしかすると大変不幸なことじゃないかと、私は馬鹿な頭で考えたのだった。

*1:この頃は時々この種の「ちょっと言っておきたい一言」が見られることがあるが、そのたびに見られるマスコミ関係の「あれはどうか」的報道を見ると、やっぱ「毒にも薬にもならないようなことだけ言ってろ」的な雰囲気を感じる