昨日地元に戻った。
母方の伯母が突然亡くなって、「内々だけ(兄弟姉妹と地元の親戚など)で葬儀をするのでこなくていい」と言われていたのだけど、小さい頃に世話になった人で、うちの子供達のことも気にかけてくれていたので、御線香あげるだけでも、と、思ったわけだ。こぢんまりとした会館で、本当に内々の人たちだけで集まっていて、数十年ぶりに従兄に会った。従兄と亡くなった伯母は実は義理の親子だったというのは、いつだったかこっそり聞いた話だったけど、従兄が東京の大学に進学し、就職をし、関東圏の出身の人と結婚した(しかもその奥さんと伯母の折り合いが悪かった)などあり、ずっとこちらには戻ってきてなかったのだった。
今回も義母の葬儀になるけども、従兄は一人で戻ってきていて、喪主的な仕事はかつて伯母夫婦と同居していた叔父がやっていた。いろいろ冷め切った夫婦の話なども酔った勢いでしていたけれども。伯母が死んで、彼の係累はいなくなってしまったのだけど、奥さんが伯母のことが大嫌いで、弔いをする気も今後供養する気もないので、遺骨などは持って行けないのだそうだ。「義母さんも悪かったんだ」としきりに彼は話をしていて、私も伯母がいろいろ難儀な部分を抱えている人であることも知っているけれど、こうなってみると、なんだか伯母や伯父が哀れにも思われてくる。*1
「向こうの人間は自分の親の墓参りにも行かない」と彼は言っていたけど、それはやはりみんなではなくて、特別なんじゃないのか。そう思いたい。
で、おそらくこちらにいる叔父やうちの母などが伯母の供養に関わることになるんだろうが、どちらも立派な高齢者。しかもうちの母は独居で、ヒッキー気味*2。今回亡くなった伯母は母のすぐ上の姉で、その更に上の姉はもう数年前に亡くなっている。残っているのは、うちの母と叔父というわけで、「そろそろ気をつけておかないと」と思いながら帰ってきたのだった。
久しぶりの故郷は夜だったということもあったが、非常に静かだった。
工業で栄えたところだから、バイパスも工場間の物資輸送に都合が良いようにと言うことなのか、工場に沿うように出来ている。そのバイパスを通りながら、昔のことを思い出した。
私が子供の頃、夜中に目が覚めると工場の明かりで外が朱色に染まって見えていた。遠くに工場の稼働している音が聞こえてきていて、その音が怖くて、なかなかその後寝付けなくなったりした。
地元企業の人の話を聞くと、鉄関係の景気が盛り返してきているので、徐々に会社は活気づいてきているとのことだった。夜中まで工場が動くようなことは、もうないかもしれないけど。