key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

本を読んだり勉強したり。

ぼやきです。

札幌は市立の図書館の他にいくつかの区に図書館の分館があって、他に地区センターに図書室が設けられている。
昔から札幌に住んでいた人は、「図書館が閉まるのも早いし、使いにくかった」と言うんだけど、いまは各施設がオンラインで繋がっていて、本館で借りたものを地区センターで返したり、オンラインで予約を入れられたりするので、随分便利だと思う。
この冬休みに、金子さんが「調べ学習があるから、図書館に行きたい」というので、職場の近くの地区センターの図書室に連れて行った。そんで、仕事が終わって、迎えに行って「勉強終わった?」と聞いたら、「勉強しないで下さいって張り紙がたくさんあって、ノート出せなかった」と言っていた。確かに室内の様子を思い出したら、椅子はあるけど机はほとんどなくて、「ここは勉強する場所ではありません。勉強しないで下さい」と何枚も張り紙がしてあった。見回した辺りに何枚も貼ってあって、「しつこい」と感じたくらいあったということは、勉強する人が絶えなかったと言うことか。
学校の長期休業中には調べ学習の課題が出ることがよくあるんだけど、学校の図書室は開放されていなかったり、それだけでは資料が足りなかったりすると、公共図書館とか使いたくなると思うんだ。それで、調べに行ったはいいけど、ノート出して書くのも出来ないんじゃ*1、ちょっと使いにくいというか……。なやましい。これはどうにかならないのかな。私もちょっと足を踏み入れただけなんだけど、貼り紙のせいか、非常に長居しにくい雰囲気になっていて、ゆっくり本を探すのももしかしたら迷惑かな、と思ったりしてしまった。
実は、本館と分館には閲覧室というか、勉強室的なものがつくられていて、休みの日に行くと、試験勉強とかの高校生とかがたくさんいたりする。金子さんに聞いたところ、カウンターに許可を取れば、そこで本を読むことも出来るらしい。でも、そうじゃない地区センター図書室の本で調べ物をしたいけど、その場で次々引き出して見比べることもしにくい状況というのは、どうなんだろう。
まあ、「地区センター図書室はそういう場所じゃないですから」で一刀両断か。
でも味気ない感じ。
図書館で勉強する意義って、いつでも必要なときに必要な本を見にいけることだと思うんだけどね〜。

先日はてブのホットエントリに入っていた近藤社長の記事のブコメに「図書館は勉強するところじゃない。迷惑」という意見がいくつもあった。正論なんだけど、ちょっとうんざりというか、やな気持ちになったのだよね。私は公共図書館より、学校併設の図書館を使うことの方が多かったからか、図書館はやっぱり「本も読むけど、調べ物や勉強をするところ」というイメージが強くて……。
勉強したかったら、遠くてもそれが可能なところまで行って、やるしかないと、そういうことか。
「迷惑」と言われているのは、「受験勉強」や「試験勉強」などの、図書館の本を必ずしも利用しない、場所だけを利用するものだとはわかってはいるんだけど、それで小中学生の「調べ学習」とか「レポート作成」とかも一緒くたにされちゃうの?と思うとちょっと悲しい感じがして。子供は「駄目」と言われたら「全部駄目なんだ」だと判断するところがあるから、おそらく「宿題で調べたいんだけどいいですか」とはカウンターに訊かないと思うし。

う〜ん、なやましい。
ということで、オチはない。

*1:まるっきり出来ないわけでもないんだろうが、あの貼り紙の中でノートを出すのは大変勇気がいる行為だと思う。