土曜日をテーマに書いてみたけど、結局今回の本から外した話。
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「伊角くんの鞄てさぁ。何入ってんの?重いけど」
いつものように和谷の部屋に集まっていた時のことだった。研究会も終わり、残った何人かで部屋の片付けをしていたのだが、掃除機をかけるために置いてあった荷物を移動させようと、何気なく彼の鞄を手に取って、奈瀬はその予想外の重さに驚いたらしい。
「いろいろ」
和谷から渡された食器を片付けながら、伊角は答えた。
「いろいろ?」
伊角の答えに奈瀬は納得がいかないようだった。
「お前、見たことねーの?」
和谷はにやにやしていた。
「何でも入ってるぜ。その鞄」
「何でも?」
奈瀬は和谷の言葉に目を瞬かせていた。
「いや、何でもはないよ」
和谷の言葉を訂正するように、伊角は言ったが、和谷はそれを無視するように「ほんとなんでも言ったもの出てくるから」と彼女に言った。
「何入ってんの?見せて?」
掃除機を片付けて、彼女は彼の鞄をそそくさと運び、部屋の真ん中に座った。
伊角はちょっと考え込み、別に見せて悪いモノは入っていないよな、と思いながら、彼女の前に座った。奈瀬は興味津々の表情で、彼が鞄を開けるのを見ていた。
彼はまず携帯電話と財布とパスケース、鍵と折りたたみ傘を取り出した。
「なんだ。結構普通」
奈瀬が言うと、台所から戻ってきた和谷がそれを後ろから覗いて「ここから本番だって」と面白そうに言った。
「そんな面白いもの入ってないって」
伊角がそう言いながら取り出したのは、カバーの掛かった本と同じくらいの大きさの手帳とポーチだった。
「何これ。……開けていい?」
彼女はポーチを手に取り、裏返して見たりしていた。
「いいよ」
「なんか手作りっぽいこれ。彼女の手作りとか?」
和谷は彼の後ろでクスクス笑っている。
「違うよ。それ、弟が学校の課題で作ったやつ」
「あ?」
中を覗いた彼女が声を上げた。
「こんなの持ち歩いてるの?なんで?」
「暇な時とかにあればいいかと思って」
奈瀬がポーチから取り出したのはミニ碁盤セットだった。
「こっちは?」
彼女はカバーの掛かった新書を手に取り、中をぱらぱらと開いて、元通り床に置いた。詰め碁集だった。
「伊角さん、ペンケース持ってきてないの」
和谷に言われて、「持ってるよ」と、伊角が次に鞄から取り出したのは大きめのペンケースだった。彼女は思わず「でか」と声を出した。
「そんなになに入れてるの?」
「なにって……これ、高校の頃からこのまんまだけど」
シャープペンシルにボールペンや蛍光マーカー、カッターナイフ、直線定規、ハサミ、修正テープ、テープのり等々が続々と出てきた。
「あとは?」
奈瀬に促されて、彼は鞄から全部出して見せた。
「うわ。ほんと何でもあるね……。ティッシュ、ハンカチ、ニベア、リップクリーム、絆創膏……。オロナイン?……これは?」
「あ、それゴミ用の袋」
「ゴミ袋?じゃあ、こっちは?」
奈瀬は先ほどよりも少し大きめの袋を手に取って、中を覗いた。
「お菓子?なんで?」
驚く奈瀬の様子を見て、和谷は笑っている。
「ちょっとなんか食べたくなるときって、あるだろう?」
伊角が答えた。
「そういうの、その時にどっか寄って買えばいいんじゃない?」
「対局中とか、移動中とかさ……」
「それはなきゃないでさ」
「糖分補給大事でしょ。俺たち」
「そうだけどぉ……。なんでこうなるの?カッターナイフとか定規とか、もう学生じゃないんだから要らないと思うよ?」
奈瀬が身をよじるようにしているのを見て、和谷はついに大声で笑い出した。
「そういうのはだいたい入れっぱなしなんだよ。整理するタイミングがなかなかなくて……」
「オロナインも?」
「それはニキビ出来てたときに入れて……」
「でも、お菓子はオレらも休憩中に分けてもらうことあるから、実は助かってるよ」
笑いながら和谷はフォローめいたことを言った。
「伊角くん、女子力高い……ていうか、お母さんみたい……。どうして?」
奈瀬が呟いた。
「なんでだろ。……ばあちゃん子だったからかな。あれ持てこれ持てっていつも言われてたからね。弟連れてあるくこと多かったし」
「すごい。……なんか感動した」
奈瀬は鼻をすんと鳴らし、目に滲んだ涙をぬぐっていた。
「今度からママって呼ぼうかな」
「え、やめろよ。いやだよ」
「肩こってるよね。いっつもこんな重い鞄持って。和谷とか進藤みたいなガキんちょ養ってるんだよね」
「だからやめろって。大丈夫だって」
おもむろに彼女は立ち上がり、後ずさりする彼の背後に回って肩に手を置いた。
「伊角くん。任せて。私いつも師匠の肩もみ任されているから」
「ばっか。肩もみならオレの方が上手いから。……ちょっとやらせろ」
伊角の肩を巡って、二人がもみ合い、結局めちゃくちゃにもまれて「いいから。二人とも。……勘弁して」と言うしか出来なかった。
遊びながら片付けをしていたせいで、終わった頃にはすっかり暗くなってしまっていた。時間も時間なので三人で食事をしようと言うことになり、最寄り駅の近くまで三人で出かけた。食事後、和谷とはそこで別れ、伊角は奈瀬と一緒に駅へ向かった。
改札を通り、ホームへ至る階段を下りながら、奈瀬は突然「私も女子力高くしたいなー」と呟いた。
「オレ、女子じゃないけど……。ていうか、女子力ってなに?」
「なんていうか、困った人にすぐ手をさしのべられる感じ?こまごまと。要するに、気が利く感じ?」
「奈瀬だって十分気がつく方だと思うけど」
「でも私、基本自分に必要なものしか持たないもん。それに聞かれて持っていれば出すけど、何も言われないのに自分からはどうぞとはあまり言わないかな」
「オレだって、必要だと思ってるから持ってるんだけど」
「そうだろうけどね」
ホームに電車が入ってきた。二人は車両の中程で吊革につかまった。
「でも伊角くん、彼女になんにも言われない?そんなんで」
「あぁ……」
伊角はため息混じりに言った。
「笑われてるよね」
「年上なんだっけ?」
「うん。まあ」
伊角はその後緒方のところへ行くことになっていた。この話も、聞かせたらさぞ面白がるだろう。
「でももうずっとつき合ってるってことは、嫌じゃないんだろうね。そういうの。かわいいと思ってるんだろうね」
「だれが」
奈瀬は黙って伊角を見上げた。
「え。オレ?」
今更のように驚く伊角を、奈瀬はじろりと見た後、破顔した。
「羨ましいなぁ。……私、なんか寂しくなってきた」
「オレ、奈瀬はかわいいと思うけど」
「知ってる」
伊角は苦笑した。
「でも伊角君に言われても、あんまり嬉しくない。全然期待できないもん。悪いけど伊角くんタイプじゃないし」
「それは。……悪かった」
「うん」
「誰か良さそうな人いたら、紹介してって、伊角くんの彼女にも言っておいて」と、言って、奈瀬は先に電車を降りた。
緒方は彼の予想通り、鞄チェックの話を楽しんでいたようだった。
「あきれてます?」
と、伊角が言うと、「いいや」と言いながら笑っている。
「面白がってますよね」
という問には、「そうでもない」と、笑いながら答えていた。
「……か、かわいいとか思ってるんですか?」
自分で言うにはかなり恥ずかしい言葉を、詰まりながら口にした。
緒方はなぜかぴたりと笑うのをやめ、言い終えてなお恥ずかしがっている彼を興味深げに眺めて、「だったらどうする?」と反対に尋ねてきた。
そこまでは予想していなかった伊角は、いよいよ言葉に詰まった。
「う、うれしい……?」
緒方は「じゃあ、いいだろ」と言って、彼をなだめるように頭に手をかけ、「さ、風呂の用意するかな」と、その場から立ち去った。
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これはどう考えても伊角はうれしくないだろ、と思うけど、奈瀬に「かわいい」とか言われたからとりあえず言ってみて、苦し紛れに思いついたことを口走った的なアレですね。
これは「しりとり」をしようと思って書き留めていたモノですが、「かばん」なので、しりとりの終点ですね。