key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

『すいか』3

すいか Vol.3 [DVD]

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 シンギングドッグの出てくる7話と、女子大生の飛び降りる8話。
 なんというか、生きてゆくことにおいて、「自分が悪かった」と認めることって実はものすごく困難なことだよなぁとこれ見てまた思った。数年前からおりおりそんなことを考えている。
 8話では、単位取得のため、浅丘ルリ子に木箱入りの松阪牛を持参してくる学生(上地雄輔)と教授の部屋の窓から飛び降りる女子学生(加藤夏希)が出てくる。
 どっちも微妙な振る舞い。上地くんの親は、「教授だって人間なんだから、高価なものを送りつければ、懐柔されるだろう」と思っているんだよね。実際は、教授は生肉は返せないから、と、肉相当分の現金を送り返したようだけど。こういうのを理解できない人はいるよねぇ。単位についてははっきりわからないけど(取得できたっぽいが)、おそらく「息子のレポートが評価された」とは思わず、「肉を送ったからだ」と思っていそう。ていうか、学内の噂になってるんだから、そういうニュアンスでとっている人が多いんだろう。これは、教授だけではなく、息子にも結構失礼なことだと思うんだけど。反対に、もし単位を取得できなければ、上地くんは「松阪牛を持たせたりした親のせいだ」と思うかも知れない。
 加藤さんは、レポートの内容について、自分に非があることをどうしても認めたくなかった様子。「なぜだかわかる?」といわれると、「丸写ししたから」と答えられるけど、それで「すみません」じゃ無いんだなぁ。
 真面目に出席していたことはいいとして、じゃあ、どうして教授のいうとおりにレポートを書かなかったのか。おそらく、「レポートなんか真面目に見ていない」「丸写ししたって、わかるわけがない」「真面目に出席していたんだから、それだけで認めてもらえるはず」とか、高をくくっていたわけだよね。
 どっちもひとを馬鹿にしているなぁと思う。
 そして、最近「ごめんなさい」と言えないひとが多いことを思う。
 「ごめんなさい」という前に、「でも」と言い訳を始めて、言い訳だけで話が終わってしまう。言い訳だけでは、問題は解決しないのに。ていうか、感情面でこじれることの方が多い気がするのだけど。
 「死ぬほど単位が欲しいのだから、単位くらい出してくれればいいのに」と加藤さんの母が言うのに、教授は「命を粗末にしているのは、お嬢さんの方です。生きているよりも大事なことはない」と返す。
 3回目くらいに、教授の大学時代の友人が、闘病の末に無くなるという話があるのだけど、その時、ひよこ売りの屋台でごねる中年男に、教授が「生き物はいつか死ぬものなのだから、それを受け入れなければならない」と話す場面がある。
 おそらくこの時教授の頭には、友人の死を受け入れたくない自分のことが頭にあったのではないかと思っていた。それを見たときから、教授が他のキャストにかける言葉は、実はすべて自分に向けられているものなのではないかと思っていたのだけど、今回もそのことを強く感じた。飛び降りた女子学生の病室で、彼女の手を握りながら「私たちはラッキーなのよ」と教授はいう。彼女は、顔を背けていて、その言葉を受け止められたのかどうかはわからない。でも教授は、彼女に語りかけながら、自分でもそれを信じ込もうとしているように見えた。
 8話では、小林聡美の母親(白石加世子)がガンであることがわかるというのが傍系ストーリー。母は「ガンだったら、あの指輪買うわ」と宝飾店の前で言い切るのに、本当にそうだとわかると、矢張り買えないのだった。
 病院からの帰り道、小林聡美が初めて話した言葉が「ばいばい」であること、その時、乳臭かった娘から、ひとの匂いがしたという話を、母が語る。切ない場面。子どもはいつか自分から離れていくと言うことを、彼女は頭で理解しつつも、長い間否定してきたのだと思うが、今回それを娘に語ることで、自分の中で折り合いをつけたように見えた。