key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

戯れ言

「それでは質問は」
 と、太善が尋ねると、永夏が「はい」と手を上げた。
「先生、ワイシャツは何枚もっていけばいいですか」
 太善は微笑みを崩さずに永夏を見た。その脇では秀英がぎょっとした顔で永夏を見ていた。永夏は涼しい顔で手を上げている。
 永夏がなぜそんな質問をしたのか、秀英は知っていた。
 太善は、最低でも一日二回シャツを着替えると言う噂だった。宿泊先に長期で逗留する時には必ずホテルのクリーニングサービスを利用して、プレスしたてのものに袖を通さないと気が済まないという。永夏は先日その噂を先輩棋士から仕入れ、わざと太善にぶつけているのだ。今にもにやけるのではないかという永夏の横で、秀英は一人はらはらしていた。
「永夏。手は下げてよろしい」
 二人は笑顔で見つめ合っていた。秀英は永夏を見て、肩をすくめている。
「それじゃあその件については、この後できちんとリストを上げてやるから、永夏は残りなさい。……秀英は質問は?」
「あ、ありません」
 突然指名された秀英は、飛び上がりそうになっていた。
「日煥は」
「ないです!」
 日煥も秀英と同様に慌てていた。
「そうか。では解散。明日は仁川国際空港に9時集合。忘れ物をしないように」
 日煥に続き、部屋を出ようとする秀英を、永夏が呼び止めた。
「先に帰ってて」
 秀英は唇をきゅっと結び、頷いた。
「秀英、気をつけて帰りなさい」
「はい!」
 太善はドアが閉まるのを確認し、永夏の方へ向き直った。
「さて、永夏はなんだって?」
「先生はワイシャツ何枚持って行くんですか?」
 永夏は楽しそうに太善を見上げていた。
「私が何枚シャツを持って行こうと、永夏には関係ないだろう?」
「参考にさせてもらおうと思って。海外は初めてなんで」
「そうか」
 太善はにっこりと微笑んだ。
「汚れたシャツを着ているところをプレスに写されたりするとみっともないから、日数分プラス1枚くらいは持って行った方がいいんじゃないか?」
「新しいものを?」
「もちろん」
「スーツは?」
「二着は用意した方がいいだろう。二日日程の大会だし。そうそう、スーツも出来れば新調しなさい」
「スーツも?」
「よれよれの着古したスーツで表彰されたいか?永夏」
 永夏は眉をちょっと上げ、「わかりました」と返事をした。
「じゃあ、先生、これから買いに行くの付き合ってくださいよ」
 永夏が立ち上がると、太善と目線がならぶ。太善はつい真顔で永夏を見つめてしまった。永夏は太善の視線を快く感じているようだった。
「お前がその髪を何とかしたら、買い物でもどこでも付き合ってやるよ」
 太善の言葉を、永夏は鼻で笑った。
「でも、普通にしていたら、オレのこと見てくれないでしょ」
 永夏の言葉を、今度は太善が鼻で笑った。
「そういう気の引き方は子供のすることだぞ」
「だってオレはまだ子供だから」
 太善の目が一瞬真面目なものになる。
「引率が必要なんですよ」
 そうして永夏はにんまりと笑う。自分の容姿と、そこからもたらされる効果を理解し尽くしているものの表情だった。
 太善は永夏の真意を何となく理解していた。
 永夏はわざと太善の気に障ることをしている。髪を長く伸ばしているのも、明るい色に染めているのもそうだ。この日も彼の言葉を拾わずにいたら、当日どんなことをして自分を困らせるつもりなのかと太善は一応心配したのだった。数日後に行われる北斗杯は若手棋士を対象とした新規の国際棋戦で、韓国棋院で永夏を始めとした代表棋士の活躍に注目をしていた。特に永夏は国内でも注目を浴びている棋士の一人だ。彼がおかしなことをやらかせば、団長を務める太善が責められる。「だからこんなことはしたくなかった」と太善は心中で呟き、永夏への返答を改めて検討した。
 そして、期待に満ちた目で彼を見つめている永夏を見返し、彼を刺激するのをやめた。
 あまり痛い目に遭わせて、北斗杯で負けられると結局自分が困る。困れば永夏は喜ぶだろうが、永夏を喜ばせるのは面白くないし、そういう困り方もしたくない。
 少しかわいがるくらいで機嫌をとって、やめにしておこう。
「仕方がないな」
 太善は呟くと、きびすを返した。永夏は腰を上げ、その後に続いた。

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ウォーミングアップ。
うちの太善先生は基本Sだった。たしか。