key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

『遠い星』50

「さっきの子、楊海さんが好きだったんです」
 食器を下げて戻ってきた緒方に、伊角はぽつりと告げた。
「部屋にグラビアが張ってあって。一息ついたときとかに、そっちをぼけっと見てたんですよね。すごく嬉しそうな顔しながら」
 伊角の向かいに腰を下ろした緒方は、煙草を吸いながら彼の話を聞いていた。
「……かわいらしくしているのが商売の芸能人に嫉妬しても仕方ないと思うんだが」
 緒方の言葉に、伊角は決まり悪そうに笑っていた。
「嫉妬っていうか。そう言うものでもないような気がしますけど。さっきはただ、”ああ、この子の写真張ってあったよなぁ”って思い出してましたけど」
 緒方は頬杖をついて伊角を見ていた。
「さっきは本当にそれだけですよ」
 伊角はそれで話を終えようとした。しかし彼がふと目を上げてみると、緒方はまだ何か考えているような顔をしている。伊角は緒方の様子をうかがい、少し不安になった。
「まだ何かありましたか」
「いや。お前が言うんだからその通りなんだろうが、それがどうしてあんな厳しい顔になるのかな、と、思った」
「どうしてなんでしょうね」
 そう言いながら、伊角は心のどこかで緒方の見間違いではないかと考えていた。
「お前は、その彼がさっきの子の写真をにやにや眺めているのを見てどう思ってたんだ?」
「どうって言われても」
 古い記憶でもあり、伊角は困惑していた。
「かわいいですよね。あの子。そう思いませんか」
「そうだな。……それで?」
 そう易々と誤魔化されてはくれない緒方に苦笑し、伊角はまた記憶をさらいだした。
「なんていうか。……本当に嬉しそうに見てたんで、ああ、ああいう子が好きなんだな、って、思ってたと思います」
 話を聞いているのかいないのか、緒方は考え込んでいるような表情で黙って煙草を吸っている。
「部屋には他の子の写真もあって。目が大きくて、頬とかがふっくらした感じの子の写真が多かったかな。あと、胸の大きい子。……そういえば、さっきの女の子は、結構背が大きいそうなんですけど、あれでもう少し小柄だったら言うことないのにって、言ってたことはあったような気がします」
 伊角はそこで本当に口をつぐんだ。
 緒方はまだ黙っている。
 伊角は緒方がまた何かを言うのかと、彼のことをじっと見守っていた。
「お前はさ、そういう話を聞いていて、平気なのか」
 しばらくの間の後に緒方はそういい、灰を落としていた。
「そもそもの条件に、お前は当てはまらない訳じゃないか。お前のことだからにこにこしながら相づち打っていたんだろうが、よく考えれば相当空しいだろう。自分が相手の眼中にはないってことをその場で思い知らされるわけだから」
 伊角はただ僅かに目を伏せた。
「もちろん理想と現実は別なんだから、そこでどんなのが好きと言われようが、たいした問題じゃないと言えばそうなんだが」
 またしばらくの沈黙の後、伊角は「でもどうしようもないことですよね」と、言った。
「好きになったってわかったのは、こっちに帰ってきてからのことだし、そのときにはもう相手の好みとかもわかってましたし。だからって、自覚してしまったものは無くしようが無いじゃないですか。そりゃあ、これまで一回くらいは、「女だったらいくらか話が簡単だったかも」って考えたこともあったかも知れないですけど、オレが女だったら、そもそもあっちに二ヶ月も逗留できなかったと思うし。……オレがいくら頑張ったって、親から許可下りなかったと思いますよ。かりに許可が下りたとしても、楊海さんの部屋に泊めてもらうなんてことも出来なかっただろうし、もしかしたら声もかけてもらえなかったかも知れない。そんな「もしも」を考えていてもきりがないし、よっぽど空しいから」
 伊角はそこで自嘲気味に笑った。
「男だったから、向こうにいられて、楊海さんと知り合えて、いろんな意味でいい経験したから。……自分のこともわかったし。オレは、今の気持ちは実らなくてもいいのかも知れないとか思うこともあるんです。こっち向いてもらえれば嬉しいけど、たぶんそんなことはないし。こっちが好きなんだから、そっちも好きになってくれ、なんて言えないし。オレは誰かと付き合ったりとかしたことはないけど、これまでオレに告白してくれた女の子達には、みんな申し訳ないことをしたって、今でも思うんです。みんなすごくいい子で、好きだって言われるのは嬉しかったけど、オレはそれに返すものがなかったから。だからオレもこのままでも仕方がないですよ。そういう相手を好きになっちゃったんだから」
 目を上げてみると緒方は難しい顔をしていた。納得はしてくれないだろうな、と、思い、伊角は小さくため息をついた。
 緒方はいつまでも考え込んでいる。ちらりと時計をながめ、時間を確認して、伊角は席を立った。
「オレ、もう帰りますね。ご迷惑かけてすみませんでした」
「あ、ああ」
 緒方は頬杖を外し、腰を上げた。
「結局、昨夜の用事は思い出せなかったんだな」
 緒方の言葉に、伊角は笑いながら「そうですね。思い出したらまた今度お願いします」と返した。
 それじゃあ、と、伊角が頭を下げたところで、緒方は突然「送ってやろうか」と言い出した。伊角は驚いて顔を上げた。
「そこまで甘えるわけにはいかないです。まだ昼だし」
「オレが外出したいんだ。ちょっと用を思い出した。車を出すから、ついでに送ってやるよ」
「でも、それじゃあ、遠回りになるんじゃ……」
「急ぐ用じゃないから、平気だ。ちょっと待っていてくれ」
 伊角の返事も聞かずに、緒方は車のキーを取りに行った。こうなってしまえば固辞することは出来ない。伊角はあきらめ、緒方が戻るのを待った。
「先生は、彼女と別れた後に、気持ちを引きずったりすること無いんですか?」
 緒方は駐車場から車を出した。
「どうかな。オレはあまり別れた相手には執着しないかも知れない」
「そういうのってどうなんでしょう?別れた相手のことって、綺麗に忘れられるものなんでしょうか」
 伊角の質問を緒方は鼻で笑った。
「なんだよ。急に」
「この間友達と話をしていたら、しばらく前に付き合っていた相手と別れたみたいで。本人はもうなんでもないって口では言うんですけど、何となく見ていたらまだ引きずっているような気がしたんです。それで先生とか、どうなんだろうって思って。素朴な疑問です」
 赤信号で停止した際に、緒方は煙草を吸い出した。
「それは付き合いの深さによるだろうな。別れると決めて会わなくなれば、相手のことを日常で意識することはだんだん無くなるかも知れないが、記憶が抹消されることはないからな。終わったものに煩わされるのは嫌だから、オレは積極的に考えないようにするが、ふとしたときに昔のことをいろいろ思い出すことはあるよ」
 伊角は緒方の話を黙って聞いていたが、信号が変わるタイミングで再び口を開いた。
「相手とすごく嫌な別れ方をしても、時間が経てば、いい思い出だと思えるようになるんでしょうか」
「嫌なものはいつになっても嫌なんじゃないか」
「二度と会いたくない相手とかいますか?」
 緒方はただ笑っていた。
「どんな別れ方をしても、別れた相手とはいつでも何となく会いにくいものだと思うぞ」
「そんなもんですか」
「会いたくないと思っていても、会ってしまうことはあるしな。それはそれで仕方が無いが、顔を合わせていたら、どうしても昔のことを思い出すだろう。それがいい思い出にせよ悪い思い出にせよ、一度密接な付き合いをしてしまうと、その後に距離の取り方が難しくなるんだよ。情が絡むといろいろ面倒なもんだ。お互いに身体だけと割り切れるならいつでも終われるし、後腐れもないが。だから別れると決めたら極力会わない方がいいし、相手のことは考えない方がいいとオレは思ってる」
 伊角は緒方の言葉を受け止めながら、流れてゆく風景を眺めていた。
 話はそれきりで途切れてしまった。
 車が伊角の家に到着するまで、二人は無言だった。
 門の前で車を止められ、伊角は「ありがとうございました」と軽く礼をして車を降りた。
「伊角」
 ドアを閉めようとする伊角に、緒方が声をかけてきた。真っ正面から見つめられて、伊角は軽く動揺した。
「お前、大丈夫か?」
 唐突な言葉に戸惑う一方で、伊角の心臓がまたはねた。
「なんですか」
 伊角は笑い返すと、「大丈夫ですよ」と、言った。

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なんと、今回で50回目ですよ!
その割に話が進んでいるのか進んでいないのかわからんなぁ。orz。