key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

『遠い星』44

 奈瀬が終電で帰るというので、その日の話の流れから、伊角が護衛役をすることになった。もっとも、その場に残っていたメンバーの中で、その時間までにまともな思考力を保っているものは他にはそれほどいなかったのだが。二人は同じ方向でもあったので、伊角はそのまま自分も帰宅することにした。
「奈瀬はさ、飯島と付き合ってるんだろ?」
 それは伊角が随分前に聞いた話だった。噂をしていたのはヒカルで、ヒカルはフクから話を聞いたと言っていた。
「ええ、それもいつの話よ」
 奈瀬はふらつきながら「今日は古い話ばっかりね」と笑っていた。彼女がそのままよろけてしまうのではないかと思われて、伊角はつい彼女の腕を取った。奈瀬は「大丈夫」というと、大きくため息をついた。
「もう別れちゃった」
 まずい話題を振ってしまったことに気づき、伊角は「ごめん」ととりあえず謝るしかできなかった。
「気にしないで。もう何ともないんだから」
 奈瀬は明るく笑っていた。
「それに付き合ってたって言うか……。そういうのはっきりしないまんまで終わっちゃったし」
「……そうか」
「でも伊角くん、どうして私と飯島のこと知ってるの?誰にも話した覚えないんだけど」
「人づてに。そうらしいって。でももう随分前のことだから」
 奈瀬はもう一度小さくため息をついた。
「飯島が院生やめたのは知ってるでしょ?あれからも私たち何となく連絡取り合っててね。時々外で会ったりもしてて。一緒に遊びに行ったり。飯島は浪人してて、私はまだ院生で、お互いにけなしあったり励まし合ったりしてたんだけど、結局上手くいかなくなっちゃった」
「飯島は今は……」
「それが皮肉なのよね。飯島の受かった大学って、棋院の近くなの。あの人毎日市ヶ谷で電車の乗り降りしてるのよ。それで囲碁サークルに席置いて。バカみたいでしょ?」
 伊角はコメントを避けた。
「私も結局伊角くんと同じで、院生卒業しちゃうまでプロになれなかったでしょ。飯島はその前に見切り付けてたし、私のことも応援してくれてたのよね。お前は頑張れ、みたいに。それで飯島が大学に合格した年に、私も女流枠でプロ入りが決まって。そこまではよかったんだけど、いざ道がはっきり分かれちゃうとね……」
 二人は駅の改札を抜けた。
「飯島って基本卑屈じゃない?いろいろ愚痴愚痴言い出したりしてさ。最後は喧嘩ばっかりしてた」
 二人がホームに出てみると、電車が発車する寸前だった。二人はその電車に飛び乗り、空いている席にならんで座った。
「伊角君は覚えてないと思うけど、飯島って結局一度も伊角君に勝てなかったのよ。あの人そのことをずっと気にしていたの。たぶんまだ忘れてないし、死ぬまで気にしてると思う」
 伊角は奈瀬から顔をのぞき込まれるようにして、「覚えてないでしょ?」と、言われた。事実記憶になかった彼は、決まり悪さから、つい目をそらした。
「そんなに気にするなら囲碁と縁切ったらって、私言ったのよ。本当はそんなことしたって忘れられないってわかってるんだけど。あの人が院生やめた気持ちもわからないではないし」
 奈瀬は当時のことを思い出しているのか、酔いの残る目ではあったが表情を堅くしていた。
「結局あの人も囲碁が好きでたまらないの。打たずにいられないのよ。だから私にも「やめる」「やめる」っていいながら、結局サークルなんか入っちゃって」
「じゃあ、もしかしてアマの棋戦とかにも出てるのか」
 奈瀬は否定も肯定もしなかった。
「それで私がプロになっちゃったら、結局私にも負けたことになるわけじゃない?院生の時には、自分より弱かった私に。それも結構つらかったみたい。結局二人とも囲碁でくっついてるわけだから、私といたら、飯島はいつまでも囲碁と縁切れないしね」
「飯島と打ってたのか?」
「全然」
 奈瀬はきっぱり否定した後で、「打たないようにしてた」と付け加えた。
 電車が乗り換え駅に到着した。二人はそこで話を打ち切り、ホームを移動した。

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 とりあえず電車を乗り換えて話は続く。