key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

『遠い星』43

 伊角のその年の打ち締めは、和谷研になった。
 いつもはだらだらと昼頃に開始される研究会なのだが、その日は朝の九時に集合、九時半から対局になった。その日行われた対局は伊角・冴木戦と門脇・越智戦の二局のみ。対局が終了し、検討が終わり次第、その日はそのままクリスマスパーティ兼忘年会をすることになっている。和谷の部屋は狭いので、会場もその日だけは冴木の部屋を使うことになった。
 対局が終わったのは昼を少し過ぎた頃だ。その後の事を思うと気もぞそろなのか、いつもよりはかなり適当に検討を終わらせて、昼食がてら皆でぞろぞろと宴会の買い出しに出かけた。
 買い出しから戻ってしばらくした頃に、アキラと芦原がやってきた。アキラの手には土鍋が、芦原の手には一升瓶が抱えられていた。
「なんで塔矢が土鍋持ってくるんだ?」
 当然のように土鍋を受け取っているヒカルに、和谷が尋ねた。
「こいつんち、おっきい鍋あるって言うから」
 ヒカルはそう言うと、受け取った鍋を台所へ運んだ。
 ぽかんとしてヒカルを見送ったあと、芦原が、「これ、差し入れ」と、和谷に一升瓶を差し出してきた。
「はあ。どうも」
「飛び入りだから。一応」
 芦原はその後に「緒方さんが選んだ酒だから、旨いよ。たぶん」と、付け加えた。
「オレ、今日お目付なんだ。アキラが不良にたぶらかされないように」
「不良ってなんですか」
 和谷は苦笑した。
「あ、不良ってのは、別にオレが言った訳じゃないよ。緒方さんがさ、アキラのことを心配して、そう言ってたわけ。「アキラが未成年にあるまじき行為を強制されたりしないように、しっかり監督してこい」ってさ」
 芦原は自分が飛び入りした理由を一通り述べると、「ねえ、今日なんの鍋するの〜?」と言いながら台所へ向かった。
 彼のこともまたぽかんと見送ったあと、アキラと和谷の目があった。
「あれ、嘘ですから」
 アキラが苦笑しながら言った。
「あ、……そう」
「緒方さんが心配してるのは本当ですけど。芦原さん、本当は自分が混ざりたかっただけです」
 そういうと、アキラは「突然連れてきてすみません」と、頭を下げた。つられて何となく和谷も頭を下げた。
「あ、あとこれ」
 アキラはごろんとした保冷パックを取り出した。
「なに?これ」
 和谷はそれを受け取り、ぐるりと眺めた。少し重みがある。
「毛蟹です。うちの親から皆さんでどうぞということで」
 意外な差し入れを、和谷は思わず落としそうになってしまった。

 旨い食べ物を前にすると人はしばし無言になることがあるが、その日の彼らは、騒々しいことこの上なかった。鍋をつついては騒ぎ、蟹の身を取っては騒ぎ、おにぎりの中身に一喜一憂し、アルコールの有無に関係なく騒いだ。家主の冴木はあまりの騒がしさに苦笑いを浮かべていたほどだ。
「お前ら、少し自重してくれよ。オレこの部屋気にいってるんだからさ……」
 いくらかでも騒ぎを収めようと冴木が言うと、もう既にアルコールで顔を赤くした門脇の口から、「そういえば、オレ、このあいだ冴木の新しい彼女見たぞ」と、全く関係ない話が飛び出した。冴木は突然のことについ言葉をなくしてしまった。
「門脇さん、この間っていつ?」
 和谷の問いかけに、門脇は考えながら「ええと、先月末」と答えた。
「彼女ってどんな人だった?」
 今度はヒカルが訊く。門脇がぽつりぽつりとその特徴をあげると、
「またいつの間にか彼女変わってる」
 と、和谷があきれたように呟いた。冴木は耳をふさぐようにして頭を抱えている。
「冴木さんは好みにあわないと思ったら、すぐ彼女変えるし。理想が高すぎるんだよな」
 和谷が続けて言うと、
「違うよ。冴木くんはさぁ、垣根が低すぎなんだよ」
 と、芦原が言った。
「理想があったら、あんなに違うタイプと次々付き合うわけないじゃない。だからどっちかっていうと、なんでもいいんじゃないの?」
 大皿の料理を取り分けながらの酷評に、冴木は苦笑するしかなかった。
「そうなの?どうでもいいの?」
 ヒカルが尋ねた。
「まさかだろ。それにオレそんなにもてないって」
「じゃあなんですぐに別れるわけ?最初から好きじゃないんじゃないの?」
 ヒカルは重ねて訊いた。
「そんなことないよ。好きだなぁと思うから、付き合おうってなるんでさ。でもなんとなく気持ちがすれ違っちゃうんだよなぁ。会う時間とかもなかなか合わないしさ」
「オレ達休みとか不定期だもんね」
 和谷はそう言いながら、自分の苦手なグリンピースを隣にいる伊角の皿にせっせと運んでいる。
「そんなんでも立て続けに次の相手が現れるあたり、やっぱり冴木くんて恵まれてるよねぇ……」
「立て続けじゃないですって」
 冴木は顔を赤くして芦原に反論していた。
「まあ、それは一応聞いておくとしてさ」
「芦原さん!」
「オレねぇ、理想高いって言えば、伊角くんだと思うんだよねぇ」
 芦原の一言で、皆の視線が伊角に集中した。突然話を振られて、伊角も戸惑い、表情が硬くなる。
「……どうしてそこでオレの名前出るんですか……」
「だってさ、浮いた噂ないでしょう?」
「和谷とか、知らないの?」
 ヒカルに訊かれ、和谷は箸を銜えたまま考え込んでいたが、「……知らないかも」と呟いた。
「和谷くんも知らないんじゃ、オレ達が知るわけないよね」
「事実がないんだから、噂なんてあるわけないでしょう」
 伊角は更に顔を赤くしながら、反論した。
「それなんだよ。事実がないってことはさ、冴木くんみたいに簡単に適当なのとくっついたりしないってことでさ、それって、結局自分の理想に対して妥協してないってことだと思うんだよなぁ。オレ」
「ふうん、なるほどね……」
 和谷が妙に感心した風に呟いた。その横で冴木は、「そういう引き合いに出されるオレって何なんだよ」と、ぼやいていた。
「言われてみると確かに伊角さんって、昔から告られても承知したことないような……」
 和谷は思い出したようにそんなことを言いだした。
「え、そうだったの?そんなことあったんだ!」
 ヒカルは大袈裟に驚いていた。
「そりゃ遠目には伊角さんの天然ぶりはわかんないからさ、この、堅そうな外見に引き寄せられて……」
「和谷!おまえ……」
「あの奈瀬だって、院生になり立ての頃は”伊角くん””伊角くん”てうるさかったんだぜ」
 話がおかしな方向に進み始めていた。伊角は突然名前を出された奈瀬の姿を密かに探した。用を足しに行ったのか、奈瀬はいない。
「ああ、そういえば、女流の人とかも結構噂してるみたいだよね。あと、棋院の職員の女の子とか。オレ聞いたことある。結構好感度高いみたいだよね」
 芦原が和谷の言葉を補足するように言った。
「でもさ、伊角さんってそう言うことに関心なさそうな感じするよね」
 進藤が言った。
「頭ン中に碁石しか入ってなさそう」
 その言葉に一瞬場が静まり、次の瞬間爆笑の渦がおこった。
「それはさぁ、あんまり失礼だって。伊角くんだって健康な普通の一青年なんだから。ねぇ?」
 芦原は慰めになるようなならないような一言を口にした。
「なになに?なに笑ってたの?」
 奈瀬がその場に戻ってきた。
「奈瀬、どこ行ってたの?」
 和谷が訊くと、奈瀬は「トイレ」と答えた。
「ものすごい笑い声聞こえたけど、どうしたの。そんなに面白い話?」
「伊角さんの頭の中に碁石がつまってるって話」
「違うよ。伊角さんの理想が高いって話だよ」
「理想?なんの?」
 奈瀬はきょとんとしている。伊角は「進藤、もうやめてくれよ」と赤い顔もそのままに言った。
「奈瀬って、昔伊角さんのこと好きだったの?」
 進藤の質問に、奈瀬は「え〜!なにそれ」と言うと、大声で笑い出した。
「だって、さっき和谷が言ってた」
 奈瀬の視線が和谷に向けられる。
「あんた、なにおかしなこと言ってんのよ」
「だって、昔よく「伊角くん」「伊角くん」てうるさかったじゃねーか」
「ちょっと、それいつの話よ」
「お前が院生になった頃とか」
 はたと記憶をたどりだした奈瀬の目元も赤い。奈瀬もやはり酔っているようだった。彼女はしばらくの間をおいて「ああ」と言った。
「だって、伊角くん親切だったし」
 奈瀬は少し唇をとがらせてそう答えた。
「それに伊角くんを好きだったのって、私よりむしろあやちゃんとか優ちゃんとかで、どっちかというと私はそれに付き合ってあげてたの」
 奈瀬の言葉に場が静まる。
「それだけ?」
 芦原が訪ねると、奈瀬は「はい」ときっぱり答えた。
「伊角さんって成績いいし、かっこいいよね、っていうから、そうだねって。だって、その辺は事実でしょ?」
「かっこよかったか?」
 和谷が訝しげに問いかける。
「かっこいいって言うか、頼もしいって言うか……。入り立ての頃の私たちには成績よくて話しやすいって、結構貴重だったし。それに顔がいいのは間違いないじゃない」
 奈瀬はほら、と、伊角を指さした。伊角はその指を押し返しながら、「奈瀬、もういいから」と、弱々しい声で言った。

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この場面もう少し続きます。