key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

「わからない」ということ

昨日は橋本治氏の講演。時間をかなりオーバーして終了。文章そのままな感じの話しぶり。面白く聞いた。
今回のメインは橋本氏の古典関連仕事についてだったのだけど、橋本氏は「なぜ古典がわからないのかというと、そこに「わからないこと」が書いてあるからなんだ」という話をされていた。
「わからない」とは、「そこにある言葉について、知識も何もなくちんぷんかんぷんな状態」と言えばいいか。「頭の中に何も思い浮かべられない状態」と言えばいいか。
橋本氏は編み物の本を出すに至った経緯について「編み物が身近でもなんでもない男性が、さて編み物をやろうと言うとき、どこに行けば材料が用意できるのかと言うこともわからないわけだから、そこから書いた」という話をされていた。その物事に既に慣れていて、親和性のある人にとっては「別にどうってこともないこと」になっていることだと、「わからない」と他の人に言われたときに、「何故わからないのかがわからない」状態になる、と、言う話とか。
教養というものについて、実は「わからない」と言ってはいけないような雰囲気ができあがっている、実はみんなきちんと理解していないんだけど、そのことについて深く考えてはいけないような雰囲気ができあがっているんじゃないかと言う話とか。
今は学校等の外側に「歴史」や「古典」の知識をフォローするものが何もない状態であると言うこととか。
橋本氏のやっていることで一貫しているのは、「自分の知らないことをわかりたい」ということ。
例えば本を読んでいて、知らない人の名前が出てきたら、その人がどんな人なのかわからないと内容をきちんと理解できないとか。古典を読むに当たって、風俗や有職故実、言葉の意味を調べることなど。『双調平家』を書くにあたり、原文の序文に出てくる中国の王朝の皇帝名についてどういう人なのかよくわからなかったので、それを調べるところから始めたとか、それを調べるために一番よく使ったのは、大漢和であったこととか話されていた。
とにかくその「(わからないことを)わかりたい」という気持ちの強さがものすごい。頭が下がる。
たぶん、大凡の人なら「こんな事は知らなくてもいい」と合理化して投げ出してしまいそうな事なんだけど、とにかく徹底的に調べて調べて考え尽くしているという印象を受けた。
私は小娘(違)の話(枕草子)を聞いているよりは中年親父の説教(徒然草)聞いている方がまだましだと思っているんだけど、橋本氏の話の中で「平安の風俗については『枕草子』を読めば全部わかる」とあって、それには「それもそうだ」と納得したので、やはりいつか『枕草子』はきちんと読み返さねばならんだろうなと思った。
ちなみに奈良については『続日本紀』を読めとのこと。

補足
昨日の話はそう新しいものではなく。いろいろ橋本氏の著作を読んでいる人なら、聞き覚えのある話が多かっただろう。私も何となく覚えがあったし。
古典については、この辺とか。↓

これで古典がよくわかる (ちくま文庫)

これで古典がよくわかる (ちくま文庫)