key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

『遠い星』42

 沙織は元から交渉の絶えていた緒方の肉親よりも、塔矢夫妻と親しく付き合うようになった。特に塔矢夫人である明子は沙織のことをいたく気に入った様子で、ある時などは緒方が所用のために塔矢邸へ出向いてみると、何故か沙織が茶の間にいたなどと言うこともあった。
「お弟子さんのお嫁さんなんて私には関係ないと思っていたんだけど、こうなってみると嬉しいものね。なんだか年の離れた妹か、本当にうちにお嫁さんが来てくれたみたいな気がするの」
 また別の折、明子はそう言って、緒方に沙織宛の土産を手渡した。
「アキラさんはまだまだでしょうから、次は芦原さんかしら。楽しみだわ」
 屈託なく微笑んでいる明子に、緒方は愛想笑いを返し、玄関を出てから一人苦笑した。
 同門だからと式の招待状を渡した際に、芦原は「本気ですか」と、あきれた様子で緒方に尋ねてきた。
「何が」
「好きでもない女とよく結婚なんか出来ますね」
「今好きじゃなくても、後々好きになれるかも知れない」
「ならないかも知れないでしょう」
「オレはお前とは違うからな」
 緒方はなんの気もなくそう口にしてしまったのだが、芦原はそうはとらなかったようだった。
「確かにそうですよね。緒方さんはオレと違って女が駄目な訳じゃないから」
「おい、オレはなにも……」
 あわてて取りなそうとした緒方の言葉を遮り、芦原は語気を強めて、
「オレはそんな風に自分を誤魔化すなんて出来ません」
 と、言うと、緒方に背を向け、その日はもう顔を合わせようとはしなかった。普段は飄々として、ちょっとやそっとでは腹も立てないが、何かの拍子に機嫌を損ねるとかなり頑なになるのが芦原という男だった。緒方は式の当日に、芦原がアキラと談笑しているところを見かけていたが、笑顔の裏ではまだ先日の一件を根に持っているに違いないと思い、一時的に自分の式のことよりも、後日芦原の機嫌をどうとるべきかに心を悩まることになった。
 そして断続的に悩んでいるうちに「「好きでもない相手と」と、一方的に責めたが、お前はどうなんだ」と、芦原に問いただしたくなったりもした。「お前だって、好きでもない相手と一緒に歩いていたんじゃないか」「まさか、あのまま別れたとも言えないだろうに」と。結局その言葉を飲み込んだのは、「他人を利用した」ことでは共通していても、芦原は自分のように打算的な理由でそうしているのではないだろうということがぼんやりとでも理解出来るような気がしたからだ。結局、そうでもしないとやりきれないということだ。自分の気持ちのやり場がないのだ。
 そしてまた伊角のことを思い出した。
 気持ちのやり場を持たない伊角は、どうしているのだろう。