彼女の自分語りの中で、「小学校の頃に、自分の言葉で意図せずに友達を傷つけてしまっていたことに、中学生になってから気付き、それから自分の発言のことをものすごく気にするようになってしまった」という話が何度か出てくる。先日の対談集の中でも以前「ぱふ」で特集を組まれていた時のインタビューでもこのことは語られている。彼女のマンガではわりにずけずけとものを言う人間が多く出てくるけれど、彼らもご開帳(100%を他人に見せている)しているわけではない。彼女にとっては、「包み隠さず、他人にむけて自分を表明すること」はあまり良いこととはとらえられていないだろうし、そうあるべきではないと、考えられているのではないか。
『フラワーオブライフ』を読み終えてから、思い出したようにこのマンガについて考え続けているのだけれど、「聞いた他人が驚いてしまうような自分の病歴についても、開けっぴろげにクラスで話をしていた春太郎が、最後に「口をつぐむ」ことを覚える」というのが、要なのかなと、最近ぼんやりまとまりつつあるかな、と。
「他人には見せられない自分を、身のうちに抱えること」と言ってもいいかもしれない。
先日の感想でも書いたように、「抑圧」ということも、よしながふみの大きな関心事のようだが、これは「抑圧」というより「自制」の問題だろうな。その言葉を、その時出していいかどうかは、自分が決めることだ。
また、シゲと真島のことであれば、シゲは真島に嘘をついているわけではないけれど、真島には言えない、説明できないものを抱えている。表に出てくる言葉がすべてではなくて、その裏には飲み込まれた思いがある。それを察しろ、理解しろ、というのも難しいことで、なかなか上手くいかないけれど、そういう割り切れない、言葉にはっきりと出せないものを胸の内に抱えることがあると言うことを知ることは、無駄ではない。
「言わないこと」があり「言えないこと」もある。
「私だけが口をつぐんでいる」わけではなく、「私のために口をつぐんでいる人」もおり、他の人もそれぞれの理由で、「口をつぐんでいる」。なんでも正直にはっきりと述べてしまうことばかりがいいことではなくて、自分が他人には言えない気持ちを胸に抱え込むことで、みんながいろんな気持ちを抱えていることを知る。また、いつそれを出すべきかを、他の人のことを思いながら測ってゆく、それが、(ベタな言葉で言うと)思いやりで、他人との距離をそうして測ってゆくことが出来るようになることが「成長」なのかもしれない。