key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

『遠い星』36

 中国リーグ参戦中の塔矢行洋から、緒方の所に突然電話が入った。
 行洋は用のある時しか電話をしてこず、しかもいつでも単刀直入だ。その行洋がこの時にはなかなか本題に入らない。気持ちの悪くなってきた緒方が自分から尋ねてみると、行洋は「二週間ほど後に帰国するので、迎えを頼みたい」とのことであった。心臓の検診のための帰国だという。緒方とのタイトル戦の最中に大きめの発作を起こして以来、行洋は主治医の命令もあり、検診を欠かさないようになった。
 迎えを頼まれること自体はそう珍しくない。指定された日は特に予定もなかったので、緒方はすんなり承諾をして、その日の電話は終わった。
 やがて約束の日になり、緒方は空港まで夫妻を迎えに行った。塔矢邸まで送り届けた緒方は、夫人に請われて中へ上がり込み、四方山話を適当なところで切り上げて帰った。帰り際、夫人から翌日の通院の送り迎えも頼まれた。
 翌日。
 行洋の検査も無事終わり、緒方はまた夫人から請われて塔矢邸へ上がり込んだ。行洋と最近の対局についての話をしていると、夫人はお茶とともに釣書と写真を差し出してきた。緒方はそれを見て、つい眉をひそめてしまった。電話の時に何となく感じていた違和感のようなものはこれだったのかと思ったのである。
 表情の変化は僅かだったのだが、緒方の微妙な感情は塔矢夫妻にも伝わったようだった。
 先に口を開いたのは明子の方だった。
「後援会の菅野さん。緒方さんもご存じよね」
「それはもちろん存じ上げていますが」
 膝に手を載せたまま、緒方は静かに答えた。手を出す気はなかった。
「菅野さんのところのお嬢さんを、緒方さんにどうかしらと、先日お話を頂いたの」
「あまり堅苦しく考えなくてもいい」
 師匠が口を挟んできた。
「後援会の、と、聞くと、君も抗いがたく感じるだろうが、別に無理に話を進めようとは思っていないことだから」
 こういうことを得意としない師匠らしい言葉だと思った。しかし、実際はそうではないだろう。
 菅野氏は近隣県を本拠地にして不動産業を営んでいる。緒方の記憶によると、家業を興したのは先代で、菅野氏は二代目だということだった。碁が趣味で、緒方も何度か頼まれて師匠の代わりに指導碁を打ったことがある。経営手腕についてはよく知らなかったが、おそらく地縁と遺産と彼の人柄によって、商売が成り立っているのではないかという印象を受けていた。
 彼と菅野氏の間に、そのほかに何か特別な交流はない。第一緒方は、問題の「菅野さんのお嬢さん」に、一度も会ったことがない。菅野氏に子供がいることも初めて知った。
 しかし、菅野氏が行洋を通じて話を持ち込んできたのであれば、先方に何らかの思惑があってもおかしくはないのではないかと思っていた。
 釣書や写真に手をつけては、もう断れない話だと思った彼は、そのままじっとしていた。
「お写真だけでも拝見されたら?」
 明子が言う。
「明子、やめなさい。緒方くんにその気がないなら、無理に見せても仕方がない」
「でもあなた。菅野さん自身より、お嬢さんのご希望だって言うお話だったじゃありませんか」
 明子の言葉に、緒方は気を引かれた。
「それでも仕方がないことだ」
 行洋は手を伸ばし、釣書などを引き上げようとした。
「待って下さい」
 行洋の手を止めるように、緒方は声をかけた。
「菅野さんのお嬢さんのご希望というのは、どういうことですか」
 夫妻は目を合わせていた。そうして何事か意志を通じ合わせた後に、明子が話し始めた。
 曰く。
 菅野氏には一男一女がおり、どちらももうすでに成人している。娘にはこれまでに何度か見合いも持ち込まれたが、すべて持ち込まれた時点で本人が断りを入れていたそうだ。菅野氏がその娘と、将来のことも含めて話をしている中で、「あってみたい人はいる」という話が出たと言うことだった。父親が縁をつないでくれるなら、お願いしてみたいと言うので、名前を聞き出してみると、緒方の名前が出てきたとのことだった。
 行洋の後援会にいる菅野は緒方のことも知っており、娘にも「おそらく無理だ」と何度か話をしてみたが、「それでもいい」ということだった。菅野氏本人が乗り気なわけではなく、かわいい娘に頼まれ、断られることも覚悟の上で持ち込んできたのだということであった。
「お話はわかりました」
 緒方の言葉に、夫妻は安堵したようだった。
「しかし、私も菅野さんのところへお伺いしたことは何度かありましたが、肝心のお嬢さんには一度もお目にかかったことはないのですが」
「菅野さんも、そのあたりは不思議に思われていた」
 行洋は腕組みをしていた。
「……でもいいわ。緒方さん。この話はやはりお断りしましょう」
「会うだけでも本当によろしいなら」
 明子の言葉を遮った緒方の台詞に、夫妻はともに驚いていたようだった。
「それなら私はかまいませんが」
「緒方くん、別に道義を感じる必要はないぞ」
「先方が会いたいとおっしゃるなら、その希望は叶えられますから。ただ、その他のことについては、ご希望に添えるかどうかわからないと、菅野さんには確認して頂けますか」
「え、……ええ……」
「先ほどのお話だと、その辺は承知して下さっているようですが」
「緒方くん。いいのか」
 行洋が彼の意志を確かめるように尋ねてきた。
「先生も先方も、少し誤解をされているのではないですか」
「どういうことだ」
「私は別に独身を貫くつもりもないんです。良い方がいれば、それなりに考えていこうと、しかし今は縁がないし、無理をする気もない。それだけの話です」
 夫妻は再び顔を見合わせていた。
「それじゃあ、緒方さん。菅野さんには先ほどの通りにお話しさせて頂きますわね」
「そうですね。先ほどの通りで」
 明子に念を押すように、緒方は言った。
 彼は夫妻に断って、釣書と写真を持ち帰った。
 写真はある老舗の写真店で取られた、良くある見合い用のものだった。沙織は紫ががった紅色を基調にした振り袖姿で、派手な顔立ちではないが、着物に負けてはいなかった。何度か見直してみたが、やはり顔に見覚えはなかった。
 明子から彼のところへ連絡が入ったのは、話のあった翌日のことだった。
 先方は緒方の言うとおりにするということで、話がまとまったとのことだった。
 緒方はその場でスケジュールを確認し、少しまとまって日の空いているところを見つけて、その初日を指定した。
「二人きりでお会いしましょうとお伝えください」
 明子にそう言って、緒方は電話を切った。
 その話もすぐに通った。
 緒方と沙織は、半月ほど後の昼頃に二人きりで会うことになった。


 不思議な女だな、と緒方は沙織に会って、思った。
 特に派手な顔立ちでもないのは、写真の通りだった。だからといって酷く地味なのかというとそうでもない。まだ年若いと聞いていたのだが、若い娘らしい浮ついたところはない。華やかな同年代の女性たちの中に入っていたら、居るのか居ないのかわからなくなりそうだと、彼は一目見て考えていた。写真を見たときにも感じていたが、彼がこれまで付き合ってきた女性たちとは少し層が違っている。こんな機会でもなければ、自分から好んで付き合おうとは思わない類の女性のように思われた。
 待ち合わせたのは品川の駅近くの店だった。二人はそのままそこで食事をとることにした。二人は初対面の間柄らしくぽつりぽつりと相手を探るように話をし、その後の予定を決めた。

**********
緒方先生お見合いをするの巻。つづく。
本筋から外れているなぁ。これはこれで楽しいのだが。