key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

『遠い星・31』

 塔矢門下の棋士は回数の多少はあっても、皆碁会所で指導碁などをしている。受付の市河がそれぞれの予定をとりまとめ、一覧を作成し、それぞれに配布をしてくれる。
 緒方はその週たまたま週末に顔を出すことになった。指導碁を終え、常連と話をして帰ろうとしていると、市河から声をかけられた。
「先生。これ、目を通していってくれます?」
 市河の差し出したのは、再来週のスケジュールだった。
「都合が悪いようならおっしゃってくださいね」
 緒方は黙って目を通した。
 書き込まれていたのはほとんどが常連だったが、なかに「伊角」というのがあった。
「市河さん」
「はい?」
「これ」
 緒方は市河にその名前を指し示した。
「電話で問い合わせをいただいたんですけど、いけなかったですか?」
「いつ」
「二、三日前だったか……。緒方先生はいついらっしゃいますかって訊かれたので、だいたいの日にちをお教えして。そうしたらこの日に来たいと言うことだったので……」
 緒方は「ふうん」と言ったきり、黙ってその一覧を眺めていた。
「その日、対局日でした?」
 市河は、おそるおそる尋ねてきた。
「いや」
 緒方はその紙をそのまま折りたたんだ。
「これで間違いない。予定通りにくるからよろしく」
 緒方が言うと、市河は安堵したようだった。
「それでね。この、伊角という人だけど」
「はい」
「席料とか一切もらわなくていいから」
 市河は意外そうに緒方を見返してきた。
「この人プロでね。対局したくてこっちから声をかけておいたんだ。たぶん支払いをしようとすると思うんだけど、一切いただかないでくれるかな」
「いいんですか?」
「うん。よろしく」
 緒方はつい失笑した。確かに「よければ事前に電話をしろ」と言ったのは自分だ。それで本当に電話をしてきたのはまだいいとして、指導碁の予約をしてくるとは思わなかった。それでも記憶に残っている伊角のことを思い出すと、いかにもそんなことをしそうにも思えてくる。「とうとう対局が出来るのか」と思うとさらに笑いがこみ上げてきた。緒方は運転をしながら、しばらく笑いを止めることが出来なかった。