key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

『遠い星・16』

 緒方への連絡を終えた楊海は食堂へ出向いた。
 もう既に食事を終えたらしく、食堂に伊角の姿はなかった。が、食事を始めた彼が不意に顔を上げたところで、ひょいと顔を覗かせた李老師と目があった。
 堅苦しいことが嫌いな楊海は、中国棋院内で生活をするようになった当初から、李老師から目の敵にされてきた。
 ただ、「すべきことをしていれば、何をしたところで文句を言われる筋合いはない」と考える楊海は、人一倍遊びもしたが、棋士として研鑽を重ねることも怠らなかった。彼が楽平と違い、老師から小言を食らいながらも一目置かれているのはそのせいである。
 そんな楊海も、もう既に棋院で生活する棋士の中では最古参に近くなった。老師は楊海を認める反面で、棋院の生活管理をする立場から、気ままに暮らしたがる彼を苦々しく思い、古参にふさわしい分別を求めたいようだった。
「お前のような立場のものが、子ども達の範になるようでなくてどうする」
 楊海は李老師から毎度のようにそう言われている。事実耳にタコが出来そうであり、煩わしいのでこの時にもさっと目を反らしたのだが、李老師は真っ直ぐに彼に近づいてくると、彼の目前の空席に腰を下ろした。
「おはようございます」
 目の前に来られて、無視するわけにはいかない。観念した楊海はひょこりと頭を下げた。
 老師は挨拶を返しては来たが、「口にものを入れたままで喋るな。相変わらず行儀が悪い」と、早速彼を指さしながら話していた。
「こんな時間から来られるなんて、珍しいですね。どうしたんですか?」
「あ?ああ……ちょっとな」
 老師は言葉を濁している。
 棋院外に居を構えている李老師は、訓練の開始時間に出勤してくるのが常だった。
 老師は席を立つと、楊海の分もお茶を注いで戻ってきた。
「食堂に見慣れない男の子はいなかったか」
「は?なんすかそれ」
 楊海はもらったお茶を有り難く頂くことにした。
「お前のことだ。もう話に聞いてるかもしれないが、日本人の青年を一人預かることになった」
「ここでですか?」
「いやまさか」
 老師は楊海の言葉を慌てて否定した。
「もちろん近くのホテルからの通いだが、昨日からなんで、どうしているかと気になってね。……見かけなかったか」
「さあ」
 楊海はあくまで知らないふりをすることにした。
「どんなヤツなんですか。それなりに情報もらわないと、心当たりがあるとも何とも……」
「年は、……そうだな。陸力と同じくらいか。容貌はもう少し幼く見えるが。痩せて、背の高い、見るからに真面目そうな子だ」
「へえ」
「知らないか」
「わかんないすねぇ。オレもさっき降りてきたばっかりなんで」
「そうか」
「まだ来てないか、訓練室じゃないですか?」
 老師はお茶を飲み干し、溜息をついていた。
「見かけない顔だからその内にわかるだろうが、折を見てお前からも声をかけてやってくれないか」
 楊海は箸を持つ手を止めた。
「オレが、ですか」
 知らん振りをした為に、今更「もう声かけました」とも言えず、まさか「オレの部屋に泊めてます」とも言えず、楊海は顔を引きつらせながらそう尋ねた。それに、何だってみんなオレに頼んでくるんだ、とも思ったのである。
「お前、日本語が出来るじゃないか。イスミくんは……イスミくんと言うんだが、北京語がわからないからな。ここで何かトラブルがあっても困る。だいたいそういうのを丸く収めるのは、お前の得意だろう」
「……ああ、はい、ありがとうございます……」
 おかしな見込まれ方をしたもんだ、と、楊海は力無く笑った。
「こんな時ぐらいは役に立ってくれても良いだろう。一人で好きにさせてやってるんだから」
 李老師は楊海が二人部屋を占有していることを上層部には伏せてくれているらしかった。そうでもなければ、とっくにルームメイトが送り込まれるか、楊海は追い出されている。それを思うと、結局楊海は李老師に頭が上がらない。
「私は先に訓練室を覗いてくる」
 李老師は腰を上げた。
「お前も部屋にあがる前に、訓練室を覗いてみるようにしてくれ。頼むぞ」
 念を押すようにして李老師は立ち去った。

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 各方面から頼りにされているらしい。楊海さん……。