key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

密約

 Sから申し出を受けた日の深夜。おそらく起きているだろうという予測のもとにYにメッセージを送った。案件は彼のことについて。密約をかわしている以上、言わないでいるわけにはいかないと思ったのである。
 こちらからのメッセージを受けたのだろう。程なくして電話のベルが鳴った。
 今日Sに会ってきたこと、告白をされたこと、そしてある申し出を受けたことをとつとつと話すと、Yは「ううん」とも「ふうん」ともとれる、うなり声のようなものを上げていた。
「それでどうするんですか」
 彼特有の、何処か軽い口調でそう訊かれた。
「どうして欲しい?」
 こちらから聞き返すと、彼は苦笑しているようだった。
「いいんじゃないですか」
 しばらくの間ののちに、彼はそう告げた。
「お願いしますよ」
 そう続けたあと、更に、
「出来ないことじゃないでしょう。最初に彼のことをオレに頼んできたのは、あなたの方だ」
 と、言った。痛いところをつく、食えない男だな、と、今更のように思い、オレは口の端を上げた。
「それでいいのか」
 と、こちらから訊くと、
「いいですよ」
 と答えてきた。それでもやはり返事が来るまでに間があったのには、彼にも躊躇いがあるのだと思わされた。
「いや、その方がいい」
「何がいいんだ」
「どこの誰とも解らない人間に弄ばれることを考えたら、素性がしっかりしている相手の方が安心できるし」
 そう言いながら、彼は笑っていた。
「彼があなたを選んだんなら。オレは何も言うことはないですよ」
 オレは言葉を発せられなかった。
「よろしくお願いします」
 その言葉を聞くに至って、つい嘆息してしまった。
「お前は」
「なんですか」
「お前が、一言言ってやればいいだけじゃないか。彼に」
 返事はない。オレはあふれ出すままに言葉を発した。
「たった一言言えばいいだけだろう」
 やはり言葉は返ってこなかった。
「そうすれば、こんな自棄にこんがらがった、おかしな関係になることは避けられるじゃないか」
 それきりオレも口を噤んだ。
 向こうからもリアクションが途絶えていた。オレはいらついてきていて、通話を切ろうかと思い始めた。その時、向こうから深い溜息が聞こえてきた。
「側にいられないのに、恋人面なんか出来やしませんよ」
 その言葉に、今度はこちらが何も返せなくなった。
「それは彼もわかっているんでしょう?だから、オレには一言も言わないつもりなんでしょう。彼も」
 この言葉を口にしながら、彼はどのような表情をしているのか、まるで想像がつかない。おそらく、誰にも想像がつかないだろう。
「お前達は二人とも馬鹿だ」
 そう告げることしかできなかった。
 彼はまた苦笑し、「オレ達だけじゃないでしょう」と、言った。
「あなたも同じですよ」
 それはもうわかっている。
 彼等が出会うきっかけを作ったのは、オレの思いつきだったのだ。あれは何年前のことになるのか、もう定かではない。あの時にはまさか、このような未来が訪れることになるとは思いも寄らなかった。
「よろしくお願いします」
 Yはもう一度いい、電話は切れた。
 オレはSの申し出を受けることになるだろう。いや、拒否することはおそらくできないのだ。
 なるべく彼の気の済むようにしてやろうとそれだけを考えた。
 彼の望むように、また気に病まぬ程度にやさしくしてやろう。それくらいしか、とりあえずは考えつかない。仕事であれば何百もの筋を考えることができるのに、どうして現実ではそう上手く好手が見つからないのか。
 オレは手にしていたままの受話器を一度戻し、しばらく逡巡していた。
 おそらく彼は、オレからの電話を待ちわびているだろう。彼にはオレより他に胸の内を打ち明けられる人間を持たないのだから。
 さっき、二人きりで話をしたあの部屋で、彼は確かにそう言った。
 そして、そうし向けたのも、また、オレ自身なのだ。
 オレが彼の秘密に気付かなければ。また、気付きはしても、それに目をつぶっていれば良かったのに、そうはしなかった。
「まるごと先生のものにしてもらいたい」
 彼は確かにそう言っていた。
 それが暗にどんな関係を求める言葉なのかは、すぐにわかった。
 そして、判断はおそらくその時についていたのだ。
 しかしオレは振り向くこともせずに、部屋を出てきた。

 視界の外で、彼はどんな表情をしていただろう。
 そして、今こうしている間に、彼はどうしているのか。
 いつかのように、身体を折り曲げて泣いているだろうか。
 それとも、また静かに涙を流しているだろうか。

 彼は毎夜のようにオレの夢に現れた。
 そして、いつも違う表情で泣いていた。

 オレが彼に電話をする気になれたのは、それから少し後のことだった。


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一種のイニシャルトークですか(笑)これは。

2005/08/21 少し手を入れました。が、また直すかも知れません。