key of life

BL小説を書いたりしている江渡晴美の日記です。

指輪

その人の手が好きだ。
掌よりも、指が長い。綺麗な手をしている。
情事の途中にその手に指を絡め、軽く噛みながらいくのが好きだ。終わった後には、指を絡めたままの手にキスをする。
その左手の薬指に指輪の跡がないことに気付いたのはいつのことだったか。もう定かではない。
ここに来る前に外してきた、という感じではなかった。ある程度の期間、指輪をしていた人は、外してしばらくしても根元の方がくびれているものだが、その人の指はどこにもそんな痕跡がないのだ。
「結婚式は?」
「したよ」
「指輪は?」
「したかな」
 曖昧な答えで、ただ微笑んでいる。
「翌日に対局があったから、はずしたんだ。なれないものを身につけていると、集中できないから」
 それでそのままというわけか。
 うっすらとした笑みを浮かべている彼の顔をじっと見あげていた。
「家にある?」
「おそらく。しまってあると思うが」
「今度見せてくれませんか」
 そう頼むと、ちょっとだけ驚いた表情をして、見下ろしてきた。
「……何するんだ?」
「何もしないですよ。ただ、興味あるだけです。結婚指輪なんて、見たことがないから」
 彼は「ふうん」と言って、それきりその話は終わった。

 その次に会う機会があった時。やはり一度抱き合った後で、彼は「そうだ」というと、煙草を一度灰皿にもどし、立ち上がって小箱を持ってきた。
 手渡されたそれは、下側が赤く、蓋は白い。蓋には金文字で「寿」と入れられていた。中を見てみると、右側につるりとした指輪が入っていた。
「結婚指輪?」
 手にとって、じろじろと眺めてみる。内側には文字が彫り込まれていた。日付とイニシャルだ。
「これ、結婚した日?」
「そう」
「StoSって」
「イニシャルだよ」
 奥さんの名前はいつか教えて貰っていたような気がしていた。なんという名前だったか。なかなか思い出せなくて、ただじっと指輪を見つめていた。
「沙織というから」
 ああ、そうか。
「じゃあ、沙織へ?」
「逆だよ。それはオレ用だから。沙織から」
 空いている片方の指輪は沙織さんの左手の薬指にされてあるのだろう。
 その指輪を眺めながら、どんな結婚式をしたのだろうか、と、思っていた。
 普段から白いスーツを着ている彼は、式用のタキシードなども特に違和感もなく着ていたのだろう。チャペルで(確か以前そう聞いていた)皆に見あげられる中で、沙織さんのヴェールを上げ、神の名のもとに誓いを立てたのか。以前出席したことのある、結婚式の様子を思い出しながら、そんなことを想像していた。
 不意に指輪を持ったまま手を捉えられ、口づけられた。
 こんな風に、キスをしたのだろうか。
「これ、くれませんか」
「指輪が欲しいのか?」
 彼は意外そうだった。
「アクセサリーをしているところなんて、見たことがないから、興味がないんだと思っていた」
 そのことばについ苦笑した。
 アクセサリーに興味はない。しかし、この指輪には興味がある。
「指輪が欲しいなら、今度買ってやるよ」
「これが気に入ったんです」
 流石に一瞬間がおかれた。
「これが欲しい」
 怒り出すんじゃないかと思ったが、彼は怒らなかった。ただ、じっと見下ろされただけだった。
「しないものなら、下さい」
 そう言って、じっと見あげた。
 しつこく食い下がるオレのことを、この人は何と思っているのだろう。少し伏せられた目には、やはり怒りの色はない。どんな表情も、そこからは読み取りにくかった。強いてあげれば、そこには慈愛とも哀れみとも取れるなにかがあった。
「わかった」
 彼は静かに告げた。
「ただ、捨てられると困るんだが」
「捨てません」
「……」
「大切にします」
 相変わらずじっと見下ろすその顔を見ながら「アルカイックスマイル」という言葉を突然思い出す。表情豊かな無表情。この人は時々こんな表情をする。この顔を見ると、オレはこの人を困らせたくなってしまう。
「手を出して」
 左手を持ち上げられた。
 ゆっくりと薬指に指輪がはめられる。手の大きさがそれほど違わないからか、指輪はすんなりと通り、突き当たりでおさまった。少し緩いような気もしたが、抜けるほど不安定ではない。
 指輪の治まり具合を確認すると、彼はまるでヴェールを捲り上げるようにオレの前髪を掻き上げ、額に口づけた。そして、頬に、唇に口づけを落とした。
「お前のイニシャルもSなんだな」
 その通りなのだった。どこか皮肉で、素敵な偶然だ。
 それで、思いついてしまった。同じ指輪を、同じ人から贈られることで、同じようにこの人に繋がれる気分はどんなだろうと。
 それは案外悪くなかった。
 名前で呼んで欲しいとは思わない。離婚して欲しいとも思わない。ただ、特別な証が時々欲しくなる。それだけなのだった。この人との関係は、このままでいい。時々求め合えれば。
 熱くなるのは時々で充分だ。

 指輪は自宅へ帰ってからはずして、貴重品と一緒にしまい込んだ。
 次に取り出すのは、また彼から連絡のあった時だろう。
 これを持っている限りは、連絡の途切れることはない。そう思うと、少し楽しい気分になれた。